<観劇レポート>範宙遊泳「バナナの花は食べられる」

#芝居,#範宙遊泳

【ネタバレ分離】 範宙遊泳「バナナの花は食べられる」の観劇レポートです。

公演前情報

公演・観劇データ

項目データ
団体名範宙遊泳
バナナの花は食べられる
脚本山本卓卓
演出山本卓卓
日時場所2023/07/28(金)~2023/08/06(日)
KAAT神奈川芸術劇場・中スタジオ(神奈川県)

CoRich 公演URL

団体の紹介

劇団ホームページにはこんな紹介があります。

範宙遊泳
Theater Collective HANCHU-YUEI
2007年より、東京を拠点に海外での公演も行う演劇集団。
すべての脚本と演出を山本卓卓が手がける。

構成員は、山本卓卓(代表・劇作家・演出家)、埜本幸良/福原冠(俳優)、たかくらかずき(アートディレクター)、川口聡(ライター)、坂本もも(プロデューサー)の6名。

現実と物語の境界をみつめ、その行き来によりそれらの所在位置を問い直す。生と死、感覚と言葉、集団社会、家族、など物語のクリエイションはその都度興味を持った対象からスタートし、より遠くを目指し普遍的な「問い」へアクセスしてゆく。

近年は舞台上に投写した文字・写真・色・光・影などの要素と俳優を組み合わせた独自の演出と、観客の倫理観を揺さぶる強度ある脚本で、日本国内のみならずアジア諸国からも注目を集め、マレーシア、タイ、インド、中国、シンガポール、ニューヨークで公演や共同制作も行う。

『幼女X』でBangkok Theatre Festival 2014 最優秀脚本賞と最優秀作品賞を受賞。
『うまれてないからまだしねない』で第59回岸田國士戯曲賞最終候補ノミネート。
『その夜と友達』で第62回岸田國士戯曲賞最終候補ノミネート。
『バナナの花は食べられる』で第66回岸田國士戯曲賞受賞。

範宙遊泳

過去の観劇

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

「僕は人を救いたいんだ・・・それって恥ずかしいことかな?」

フィクションで現実を乗り越え生きていこうとする人々の人情劇。
第66回岸田國士戯曲賞受賞作、堂々の再演!

2018年夏。33歳、独身、彼女なし、アルコール中毒、元詐欺師前科一犯の“穴蔵の腐ったバナナ”は、マッチングアプリ・TSUN-TSUN(ツンツン)に友達を募る書き込みをする。

出会い系サクラのバイトをしていた“男”は、釣られているとわかりながら課金してきたバナナに興味を持ち、彼と会ってみることにする。

「人を救いたいんだ・・・」と言うバナナと男はいつしか、僕/俺「ら」になり、探偵の真似事をしながら諸悪の根源を探しはじめる。

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

項目データ
観劇日時一回目:2023年07月28日
18時30分〜
二回目:2023年07月30日
13:00~
上演時間一回目:185分前後(途中休憩5分を含む)
二回目:195分前後(途中休憩10分を含む)
価格4500円 全席自由

観た直後のtweet

満足度

★★★★★
★★★★★

(5/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
ここから先はネタバレあり。
注意してください。

感想(ネタバレあり)

劇団初見。岸田國士戯曲賞、受賞作品の再演。初演は森下スタジオでそれ程公演期間も長くない。コロナの中で、一部映像化された作品があるよう。ただ、そういった作品たちを全く観ず、この劇がはじめての観劇。

初日に観たのだけれど、結局一日あけてもう一度観劇。二度観た。KAATなので劇場に行き易かったというのもあるけれど。とにかく良かった。岸田賞で3時間越え、ソワレの上演は休憩時間が短いアナウンスもあったが、ちょっと長い(おそらく退館時間ギリギリなのだろう)。小難しい文学でも上演されたらどうしよう・・・と思ったけれど。杞憂だった。

"穴蔵の腐ったバナナ"アナちゃん)と、その周辺の人々のコロナ禍をまたいだ期間の物語。アナちゃんは、2020年9月30日に死ぬ。その人が死ぬ日付が見えてしまう、記憶喪失で声を出せずにiPhoneの読み上げ機能で舞台上でも話すクビちゃん。アナちゃんと、どういう訳か気が合った"百三一桜(ひゃくさいざくら)"、記憶を失う前のクビちゃんとヤバイ仕事で関りがあったレナちゃん。そしてアナグラのバナナが恋する、禁酒会で出会ったアリサの物語。SNS"TSUN-TSUN(ツンツン)"を通して出会う人々。

言語化がとても難しい。2回観ても、どうしてこんなにワクワクするんだろう、ラストどうして自分が泣いてしまうのだろう、というのかよく分からない。どこかモノローグのような台詞たちと、会話の部分が、交互に演じられる感覚。モノローグ的な部分のセリフの量が凄いのと、会話の部分の自然さが際立つ。レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説を引用したりしながら、どこかポップな感覚で進む物語も良い。

観ていて、途中から頭を支配したのは「メタファー」という言葉だった。アナグラのバナナは、2020年9月30日に死んだ。「カバディ」をしながら死んだ・・・と後々セリフに出てくるけれど、これが「自死のメタファー」なのか、本当に言葉通りに受け止めればいいのか。2度観ても、実はよく分からない。あるいは、クビちゃんが、実在の人物なのか、アリサがクビちゃんの素顔を見て発狂するシーンを、メタファーと考えるべきなのか。二度観てみてもよく分からない。

メタファーだと考える方が分かりやすいし、いつも観ている物語だとすると、そう考えたい気もする。でも劇中で「ファンタジー」・・・自分が直接かかわることができない「その他の人々」の総体・・・という言葉を出されて、そのファンタジーの中に生きる「ハンドルネーム」の人々が、ここまで鮮明な実体を持ってしまった後、これらの事を「メタファー」と簡単に片づけて良いのか。そんな事を思うようになる。コロナ禍の、どこか空虚な人間関係の中で必死に生きる様が、メタファーなんていう曖昧な言葉ではとても片付けられない存在として、鮮明に浮かび上がってくる。

劇中「メタファー」という言葉は、「私はメタファーではない」という、レナちゃんの、ひとつのセリフの流れの中、かなり早いタイミングで、3回のみ。メタファーなんていう言葉はそこでしか出て来ないのに、気が付くとこれは「メタファー」なんて簡単な言葉で片づけられるのか・・・。そんな考えが、頭の中をぐるんぐるんしていた。

加えて。全編を通して思ったのが、「弱者」とひとくくりにされてしまいそうな人々が、必死に生きている様を自然に描きながら、同時に第三者の視点をどこかに置きながら物語が進むように感じた事。それはあるいは、客席で観ている我々の視点なのかもしれないけれども。常に、この世界を見守っていて欲しい何かを前提に置きながら、その何かから浴びせられる視線が、底抜けに優しい。そんな印象を持った。

役者さん。埜本幸良の軽い感じの演技がたまらなくいい。それを受ける福原冠が、カッコイイながらも緩急つけてて魅力的。井神沙恵、この女優さんはすごいな・・・最初のベッドを囲んだ3P出来なかったシーンが強烈。入手杏奈は、普段はダンサーだそうだけれど、告白ライブの時の、セリフの無い場面の動きが印象に残る。植田崇幸、読み上げ機能でセリフ言うの大変そう。回想シーンで喋る場面の「頭の良さ」の表現が印象に残る。細谷貴宏、彼がアリサを襲うシーンも、メタファーなのだろうか、などと今でも考え。

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