【観劇レポート】新国立劇場「消えていくなら朝」
【ネタバレ分離】 新国立劇場「消えていくなら朝」の観劇メモです。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
項目 | データ |
---|---|
団体名 | 新国立劇場 |
回 | シリーズ「光景―ここから先へと―」Vol.3 |
題 | 消えていくなら朝 |
脚本 | 蓬莱竜太 |
演出 | 蓬莱竜太 |
日時場所 | 2025/07/10(木)~2025/07/27(日) 新国立劇場小劇場 THEPIT(東京都) |
団体の紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
ホームページにはこんな紹介があります。
新国立劇場は、オペラ、バレエ、ダンス、演劇という現代舞台芸術のためのわが国唯一の国立劇場です。公益財団法人新国立劇場運営財団は、包括的に新国立劇場の管理運営を行っています。
過去の観劇
- 2025年06月18日新国立劇場「ザ・ヒューマンズ ─人間たち」
- 2025年05月30日新国立劇場「母」
- 2024年10月09日新国立劇場「ピローマン」
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
「書いてみようと思うんだよね─この家のことを」
作家・蓬莱竜太自身が演出を手がける「家族」を独自の視点で切り取った作品小川絵梨子芸術監督が、その就任とともに打ち出した支柱の一つ、すべての出演者をオーディションで決定するフル オーディション企画。第 7 弾は、『消えていくなら朝』をお届けします。
2018年に蓬莱竜太が新国立劇場に書き下ろし、第6回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞を受賞した話題作に、2,090名の応募者から選ばれた6人の出演者が挑みます。
家族と距離を置いていた劇作家の「僕」とその家族を巡る一晩の物語。最も身近で最も厄介な「家族」という存在を描いた本作を、蓬莱竜太自身が演出を手がけます。
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
項目 | データ |
---|---|
観劇日時 | 2025年07月23日 14時00分〜 |
上演時間 | 120分(途中休憩なし) |
価格 | 7700円 全席指定 |
満足度
(5/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
約20年ぶりに帰省した劇作家。そこには、相変わらず宗教にハマって父と家族を振り回している母と、それを心底憎んでる父と、その運命に翻弄されている兄と妹がいた。劇作家が連れてきた女優の彼女も交えて、一見、和やかそうに見える夜の食後の酒の席。夜に語られる、いや、ぶつけられるそれぞれの想いの物語。
蓬莱竜太の作品はこれで4作目。これまで「モダンスイマーズ」を中心に観た作品は、どちらかというと青春群像的な物語が多かった。それ故か、ここまで緻密な家族の像を立ち上げてくるのが意外でもあり驚きだった。劇団「小松台東」の松本哲也が出演していた。どこか小松台東が得意とする会話劇の要素もあり、蓬莱竜太の作品だよと言い聞かせている自分。家族の光と影の世界にどっぷりと浸らせてもらう。いろいろと想像をせずにはいられない2時間だった。
おそらく作者自身を投影している劇作家の主人公。特殊なシチュエーションだけど、劇中の彼女のセリフの通り、異常じゃない、実はごくありふれた家庭なんだろうとは思う。どんな家庭も、それぞれにそれぞれの事情がある。劇作家が主人公、っていう物語はともすると「内輪の物語」のようで白けてしまう危険性もある設定だけれど、そんな詰まらないところに落ち込むはずもなく、極端ではあるかもしれないけれどごくありふれた家族の物語になっているのが良い。
「家族って無条件の愛だろ」みたいな話が出てくる。特に父と母の視点からすると、それぞれの感情は抱えていたとしても、父・母なりの「無条件の愛」があるのだろう。でも、子供方からしてみるとそんな感覚は薄いのかもしれないし、それぞれかそれぞれに、どこか歪んでいるのも確かなんだと思う。
「家族の愛」って何なんだろうみたいなことを延々と考えてしまう。20~30年間言えなかったこと。20~30年間の思い込み。結局それぞれが心のどこかで「家族のせい」にして生きている。酒の勢いも手伝って「家族のせい」が口について出てしまう2時間。家族愛ってひょっとすると、「家族の誰かのせいにすること」「家族の誰かのせいになること」を、お互いに「許す」人間関係のことなのかななどと思ってしまった。
意図的にコミカルなセリフにしているのもあるが、本来当事者だったり、そこに居合わせたら笑うなんて難しいような言葉たちを聞いているのに、観客としては笑わずにいられないことが多いのも良い。誰かの真剣は、時に誰かにとっては喜劇でしかない、という事なんだろうな。母の浮気。結局どの程度の浮気なのか真実はわからないんだけど、食事だけなら「セーフよ」って野球の審判みたいに手を広げて言ってるのが、本人の真剣さと裏腹に、傍から見たらおかしくて仕方なかった。
この状況が、仮に実話を投影しているとしたら・・・連れてきた女優の彼女って、ひょっとして、と下種な想像をしてしまってごめんなさい。