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【観劇レポート】激団リジョロ「『わだち/쉰다리(スィンダリ)』」

#芝居,#激団リジョロ

【ネタバレ分離】 激団リジョロ「『わだち/쉰다리(スィンダリ)』」の観劇メモです。

初回投稿:2025年09月05日 14時52分
最終更新:2025年09月05日 14時52分

公演前情報

公演・観劇データ

項目データ
団体名激団リジョロ
激団リジョロ第39回公演2本立て
『わだち/쉰다리(スィンダリ)』
脚本金哲義、金光仁三
演出金光仁三
日時場所2025/09/03(水)~2025/09/07(日)
シアターシャイン(東京都)

CoRich 公演URL

団体の紹介

劇団ホームページにはこんな紹介があります。

劇団ホームページに歴史とともに記載があるので確認ください。

激団リジョロ

過去の観劇

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

<あらすじ>
『わだち』
大きな車輪と小さな車輪が嚙み合わずにぼこぼこと舗装されていない道を往く。まっすぐ進むはずもないが、その車輪はお互いを支えあいながら・・・
とある昔、日本に取り残された朝鮮人の女性がいた。彼女はたった1人、戦争を乗り越え、やがて産まれた 3人の娘を連れ、山口から広島、そして大阪へと辿り着いた。娘たちは成長し、巣立ち、しかし母は娘達と暮らすことを頑なに拒み、その生涯を終えた。
時代は現在。1人の孫がその生涯を知るべく、3 人の娘達を食事に誘う。
すっかり歳を取った長女がゆっくりと口を開き、静かにその歴史は再び歩みを進めるのであった・・・

『スィンダリ』
ひと昔前、大阪の片隅の貧乏な家。在日朝鮮人の家族の物語。
父親が死んだ事で葬儀の準備をすすめる家族。しかし兄弟たちの中でも、父の想いのために朝鮮民族としての葬儀をしようとする者。日本人になりたくて朝鮮人の伝統に反対の者。会社の同僚や友人に朝鮮人であることがバレたくなくて葬儀から逃げようとする者。
父の遺体を部屋の真ん中にして、葬儀ひとつを執り行うために、おもしろおかしく壮絶な喧嘩となる。
そしてその喧嘩は死後数年経った法事を行うだけでも毎年激しさを増す。
そんな不器用な家族を見つめる故郷の静かな目があった。

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

項目データ
観劇日時2025年09月03日
19時00分〜
上演時間160分(途中休憩を含む 休憩 (70-休10-80))

満足度

★★★★★
★★★★★

(5/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。

感想(ネタバレあり)

「わだち」と「쉰다리(スィンダリ)」の2本立て。どちらも、戦後の在日朝鮮人の生き様を描いた物語。2本立てにせずに1本ずつ観たいくらいに各作品が濃かった。それ故、ちょっと長かったし観終わった後疲れたが、とても良い作品を観れた疲労感が残った。激団リジョロは二度目の観劇。前回観た「ライダー」とはテーマは全く異なるものの、エネルギッシュでとても小劇場らしい力強い作品だった。

「わだち」作:金光仁三

女手ひとつで娘三人を育て上げた在日朝鮮人の女性(母:オモニ)の生き様の物語。その生き様を、母の死後三人の娘に語ってもらう視点で描く。激動の人生をハイスピードな展開と身体で次から次へと描いていく作品。

冒頭からしばらくは何の話をしているのかちょっと掴めなくて苦労したものの、徐々にストーリーがつかめてくる。苦しかった時代にいつも笑顔でいた母の思い出を娘たちが語る。エネルギに押されに押されまくった作品だった。母と娘3人の女性出演者が中心の演劇なのに、全体を通してどこか「漢っぽさ」が満ち溢れていることが面白い。

「쉰다리(スィンダリ)」作:金哲義

韓国の法事の儀式。在日朝鮮人がその風習を受け継いで、記憶を頼りに日本でも法事を続けている。戦後から現在まで。法事の儀式のやり方の移り変わりを背後に描きながら、日本で辛い目に会いながらも力強く生きている人々を群像劇的に描いた作品。加えてその生き様を「映画の被写体として撮影する」という構造で繋げている作品。

すごい「歴史」を観た。法事の儀式を軸に想いをベースに、「家族」「民族」…本来なら対等に語らない粒度の「歴史」をとてもテンポ良く同時に見せられた感覚。「胡散臭い映画会社」のカメラが、その「歴史」を第三者的に捉える感覚も見事。「わだち」同様ものすごくハイスピード。しかしこの作品は時間が過去現在と入れ替わりつつ話が進むのだが、それでも特に観ていて混乱することは無かった。たぶん、韓国語で「(最年長の)お兄さん」とか「2番目の弟」に当たる言葉?だろうか。会話の中でいくつか分からない言葉が出てくるのだけれど。何となく感覚で「あ、そういう言葉なんだろうな」と想像できてしまう。脚本の構成力と、その展開を支えるためにハイスピードな動き野中、想いをしっかり乗せて描き切る役者が凄い。

法事に使うお供え物が実物を使っていて、劇場内に漂ってくる「匂い」みたいなものがより一層のリアル感を煽ってくる。ラスト。現在の法事の儀式。見様見真似とはいえしっかりと伝統を守ったが故に、在日韓国人の方がむしろ韓国人よりも伝統的で、最近の韓国の人はそれをしなくなったというのが切ない。もはやそれは在日韓国人というひとつの「民族」で。図らずも発生した「民族」だけれど、その人の営みの記憶・・・「歴史」を、何とか、何らかの形で残そうとあがいている。そんな必死さがひしひしと伝わってくる作品だった。

舞台#芝居,#激団リジョロ