まだ間に合う公演レポ(24日5時)
●10/24(日)まで あんっHappyGirlsCollection「泡雪屋電影譚」
●10/24(日)まで 壱劇屋「独鬼」
●10/24(日)まで U-33project「シャンデリヤvol.2」
●11/30(火)まで 楽市楽座「うたうように」

<観劇レポート>TOKYOハンバーグ「朧な処で、徐に。」

#芝居,#TOKYOハンバーグ

【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 TOKYOハンバーグ「朧な処で、徐に。」の観劇レポートです。

公演前情報

公演・観劇データ

項目データ
団体名TOKYOハンバーグ
TOKYOハンバーグProduce Vol,31
朧な処で、徐に。
脚本大西弘記
演出大西弘記
日時場所2021/09/10(金)~2021/09/20(月)
サンモールスタジオ(東京都)

CoRich 公演URL

団体の紹介

劇団ホームページにはこんな紹介があります。

劇作・演出を務める大西弘記の作品を上演するために2006年旗揚げ。

現在までの上演作品に親と子。姉と妹。兄と弟。夫と妻といった
血縁・家族関係を主軸に、面々が置かれる環境に
飲酒店、喫茶店、戸建て住宅などのコミュニティに10人前後の人間たちが交錯。

作品群の共通項として、派手さはなく、
エキサイティングでも目新しいものもなく、楽しく笑えるようなものも多くはない。

ただ、一筋の涙が零れるかどうかといった「心の栄養」をモットーにした、
強い普遍性と現代リアルのバランスを保つ
丁寧な劇作・演出スタイルから舞台側と客席側を繋ぐ。

2016年1月『最後に歩く道』にて2015年度サンモールスタジオ演出賞を受賞。

TOKYOハンバーグ

過去の観劇

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

この作品は2020年4月、コロナで中止になったTOKYOハンバーグの新作です■

戯曲を書くとき、はじめはいつも哀しみだったり怒りだったり。

こんなにも理不尽な世界の片隅で誰も私に興味なんか持ってくれないけれど、それでも私の描く世界には、そこそこの人たちが観に来てくれて、笑ったり泣いたり、感動してくれたり辛辣な意見を言葉や文字に残したり。

書くことは苦しいけれど、書くことで救われることもあった。

あった、と思うように過去形になってゆく私の情熱と熱情は、まるで靴底を擦り減らすようにして戯曲が書けなくなった。
それは世界の哀しみや怒りに慣れていく自分の姿なのかもしれない。

こんなにも理不尽な世界の片隅で誰も私に興味なんか持ってくれないけれど、私の描く世界にも、人が観に来なくなり、もう笑ったり泣いたり、感動してくれたり辛辣な意見を言葉や文字に残したりもしてくれない。

でも私は戯曲を書く。
残された意欲は、まるで今、私が向き合う〝セルフネグレクト〟と少しだけ似ているような気がして。

現実と物語が織り成すTOKYOハンバーグの圧倒的現代劇。
本気で死のうと思えないと、本気で生きる意味なんてわからないよ。

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

項目データ
観劇日時2021年9月14日
19時00分〜
上演時間120分(途中休憩なし)
価格4200円 全席指定

チケット購入方法

劇団ホームページからCoRichの予約サイトで予約しました。
当日、受付で現金で支払い、座席指定された券を受け取りました。

客層・客席の様子

男女比は5:5。様々な年齢の人がいました。

観劇初心者の方へ

観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。

芝居を表すキーワード
・シリアス
・会話劇
・考えさせる
・シンプル

観た直後のtweet

満足度

★★★★★
★★★★★

(4/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
ここから先はネタバレあり。
注意してください。

感想(ネタバレあり)

孤独死をめぐる物語。劇作家の久美子が新作を書けずに悩んでいたら、昔女優をしていた頃に知った大先輩の寺西が、実家で孤独死し3か月発見されなかったことを知った。そこから、孤独死をめぐる取材を重ねて1つの劇作を作る話を、特殊処理業者(孤独死や自殺をした人の部屋を片付ける人)や、孤独なひとのコミュニティを作ろうとしている喫茶店の店主や、元俳優の内縁(?)の夫の関わりを、人々の状況をザッピングして織り交ぜながら語っていくお話。

孤独に独りで死ぬ。「その人に何をしてあげられるのか」という問いを、劇作家や、周りの様々な人々の中で描いていくお話。孤独死に向き合う話と、劇作家の書けない苦悩の2つが混じりあう。書けない苦悩話は、割と演劇ではあるあるなテーマだけれど、回想シーンなども含め様々な場面を徐々に見せながら進むので、少し混乱はしつつも、ありきたりな「書けない苦悩」モノになっていないのが面白い。

「何が出来るのか」特に結論らしきものが語られる演劇ではない。喫茶店のオーナーにしてみれば、まずは語る場を作る事だし、特殊清掃業にしてみればその仕事をすること自体。きっと劇作家の久美子にとっては、孤独死した寺西を作品に昇華することが、ひとつの「出来る事」の形なのだとは思う。そうやって、「死」に対して折り合いをつけていくしかないのが、人間だし人生なのかなぁ、という風にも思った。

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