<観劇レポート>TOKYOハンバーグ「最後に歩く道。」

#芝居,#TOKYOハンバーグ

【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 TOKYOハンバーグ「最後に歩く道。」の観劇レポートです。

公演前情報

公演・観劇データ

項目データ
団体名TOKYOハンバーグ
TOKYOハンバーグProduce Vol,29
最後に歩く道。
脚本大西弘記
演出大西弘記
日時場所2020/12/09(水)~2020/12/15(火)
座・高円寺1(東京都)

CoRich 公演URL

団体の紹介

劇団ホームページにはこんな紹介があります。

劇作・演出を務める大西弘記の作品を上演するために2006年旗揚げ。

現在までの上演作品に親と子。姉と妹。兄と弟。夫と妻といった
血縁・家族関係を主軸に、面々が置かれる環境に飲酒店、喫茶店、戸建て住宅などのコミュニティに10人前後の人間たちが交錯。

作品群の共通項として、派手さはなく、エキサイティングでも目新しいものもなく、楽しく笑えるようなものも多くはない。

ただ、一筋の涙が零れるかどうかといった「心の栄養」をモットーにした、強い普遍性と現代リアルのバランスを保つ丁寧な劇作・演出スタイルから舞台側と客席側を繋ぐ。

2016年1月『最後に歩く道』にて2015年度サンモールスタジオ演出賞を受賞。

TOKYOハンバーグ

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

ある日の深夜、外から聞こえる猫の鳴き声で目が覚めた。

気になったので外に出たら、自分が乗っているオートバイのカバーに仔猫が引っかかっていた。カバーから出してやると、逃げようともせずにその場で鳴き続ける小さな猫。

どうしたんだろうと思い、抱っこをしてみると両目が目脂で塞がっていて、酷いことになっていた。猫は嫌いだし、猫の知識もない自分にはカラスの仕業か、心なき人間の悪行で両目を潰されたんだと思った。

その日は仕方なく部屋の中に連れ込み、段ボールの中に寝かせた。
小さな皿に水を入れて、あと、要らなくなったタオルも。
翌日、動物愛護センターというところに電話をした。

『治療しますけど飼い主や引取り主が現れなければ数日後に処分します』

そう言われた。

2020年 TOKYOハンバーグ5年ぶりの再演作品。
犬と猫と、それを捨てる人と、それを守りたいと願いながらも殺す人と。

観劇のきっかけ

ストーリーが気になっての観劇です。

過去の観劇

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

項目データ
観劇日時2020年12月11日
19時00分〜
上演時間110分(途中休憩なし)
価格4200円 全席指定

チケット購入方法

Confettiで購入しました。クレジットカードで決済しました。
セブンイレブンで、予約番号を伝えてチケットを受け取りました。

客層・客席の様子

男女比は5:5くらい。様々な年齢層の方がいました。

観劇初心者の方へ

観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。

芝居を表すキーワード
・シリアス
・会話劇
・考えさせる

観た直後のtweet

映像化の情報

情報はありません。

満足度

★★★★★
★★★★★

(2/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
ここから先はネタバレあり。
注意してください。

感想(ネタバレあり)

心の置き場所を、どこに定めたらいいのか分からない劇だった。それが原因なのか、私にはどうにも物語全体が偽善的で、ぼやけているように見えた。

舞台に描かれているのは、動物愛護センター・・・とは名ばかりで、要は犬猫を殺処分する、自治体に所属する公務員の物語。毎週、殺処分に追われている人々の話。公務員として仕事をしていくなら、配置転換でこの仕事につかねばならない苦悩。獣医師なのに、殺す仕事をしなければならない不条理。予算や設備などの制約で身動きが取れない様。殺処分を仕事にする人の苦悩、どうにもならない無力感の感情は、身近に感じる事ができたと思う。

そのシチュエーションとは少し無関係に、物語全体を貫く「かわいそう」な雰囲気に、自分の身近にいる動物には幸せでいて欲しいという思いを、観劇中、単純な感情として強く感じた。我が家に暮らす鳥や、妻の実家で生活している犬の事を何度も思い出した。私が結婚した時に妻の家に居て、息子になつき、小学五年の時に天国に旅立った犬の事も思い出した。動物を飼う事が、人間の身勝手になっていなければいいのに、と、そんなわが身の事を、何度も省みた。

ただ、この物語の中にいる時、殺処分する事自体が「可哀そうな事」という捉え方が、自分の中ではどうにも腑に落ちない。

きっと動物愛護センターの人も、辛い辛いといいながら、昼ご飯にはハンバーガを食べている。食べるために牛を殺す事と、人間にとって邪魔だから犬猫を殺す事。一体何の差があるのだろうか、などと、意地悪いとは分かっていても、そんな風に考えて、心の中で突っ込んでしまう。登場人物の目の前では、犬猫が死んでいく。その事に対して、それが仕事だからこそ「殺処分は可哀そう」と悩んでいるような物語に見えてしまう。とてもも偽善的なモノの見方なんじゃないのか、という気がしてくる。登場人物の苦悩はともかく、作者の物語としての提示の仕方に、どうにも甘い偽善を感じずにはいられない。

それに、苦悩に歪んだ職員たちが、殺処分0を目指す先進的な自治体に見学に行くが、その後の描き方も中途半端だった。対応するために新しい職員が増えた、という結論に落ち着くが、その職員が、虐待を受けていた犬、テツオに感情移入する話に変っていく。新しい職員が、まるで希望的の星のように映る。でも、数は減ったとはいえ殺処分している事に変わりはなくて。その犬一匹に感情移入して、その他の犬の事は描かれない。しかも、「同僚の異動までに、殺処分させたくなかった」という、よく分からない方便まで出てくる。事実を、都合よく切り取っている物語ように見えてしまう。

人間はそもそも罪深い。普段は直視したくない事実かもしれないけれど、事実罪深い。この物語の苦悩は、その人間の業を棚に上げて、偽善的に悩んでいるように感じてしまう。生に対する感覚、生きる事の罪深さに対する感覚が、作者の視点と自分の視点とでだいぶ異なるんだろうな、というのを感じずにはいられず、その事が、物語をどの視点で眺めたらいいのか分からなくなってしまった原因だろうと思った。なので、こんな偽善で泣くものか、という相反する感情が、自分の感情変化を常にせき止めている感覚だった。しっかり作られている芝居だったけれども、どうもその事が気になって、感情の波には乗れなかった。