<観劇レポート>STAGE COMPANY「朝日のような夕日をつれて」

#芝居,#STAGE COMPANY

【ネタバレ分離】


観た芝居の感想です。

公演前情報

公演・観劇データ

団体名株式会社STAGE COMPANY
STAGE THE WORKOUT
「朝日のような夕日をつれて」
脚本鴻上尚史
演出逸見輝羊
日時場所2020/01/14(火)~2020/01/19(日)
本所松坂亭(東京都)

団体の紹介

劇団ホームページにはこんな紹介があります。

株式会社STAGE COMPANY / ステージカンパニー
STAGE / STAFF / ACTOR / WORK SHOP の4SECTIONを持つ、舞台総合制作会社
自社舞台公演 / 舞台監督などの舞台STAFFの請負い、人材派遣、施設管理 / 男性舞台俳優のマネジメント / つかこうへいに師事した逸見輝羊によるWORK SHOPの4部門を主軸に、舞台芸術の発展に貢献する企業として務めます。

STAGE COMPANY オフィシャルサイト – 舞台総合制作 – | STAGE・STAFF・ACTOR・WORK SHOPの4SECTIONをもつ舞台総合制作会社

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

逸見輝羊 × 鴻上作品 第三段
STAGE THE WORKOUT「朝日のような夕日をつれて」
2nd SEASON
2018年11月にSTAGE COMPANYが上演し、人気を博したSTAGE THE WORKOUT 「朝日のような夕日をつれて」が、2nd SEASONとしてキャストも新たに2020年1月に再演決定!

朝日のような夕日をつれて とは
舞台は、サミュエル・ベケットの不条理劇『ゴドーを待ちながら』をベースに、2つの世界が交錯しながら進んでいく。
1つはゴドーを待ちながら暇つぶしに興じる男たちがいる「ゴドー待ち」の世界。
1つは架空のおもちゃメーカー・立花トーイで「究極のおもちゃ」を編み出そうとネタ出しにいそしむ男たちのいる世界。
そして、2つの世界が「みよこ」という1人の女性が抱える不安と寂しさを軸に渾然一体となっていく・・・。
虚々実々の世界を5人の男が真剣に遊びながら渡り歩く。そして、みよ子は・・・。

「朝日のような夕日をつれて 僕は立ち続ける」

STAGE THE WORKOUT とは
WORKOUTとは、答えを導き出すという意味を持つ。
小劇場という役者の逃げ場のない空間で、逃げ場のない鴻上作品「朝日ような夕日を連れて」を通し、役者達がどのような答えを導き出すのか、乞うご期待!!!

演出 逸見輝羊

観劇のきっかけ

小劇場ブームの代表的な戯曲「朝日のような夕日をつれて」が好きで、興味を持っての観劇です。

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

観劇日時2020年1月17日
19時00分〜
上演時間120分(途中休憩なし)

客層・客席の様子

男女比は半々くらい。若い方、ミドル、シニア、まんべんなくいました。客席誘導の感じからしても、お知り合いの方が多いのかな、という印象でした。

観劇初心者の方へ

観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。

芝居を表すキーワード
・笑える
・泣ける
・にぎやか
・考えさせられる

観た直後のtweet

映像化の情報

情報はありません。

満足度

★★★★★
★★★★★

(4/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
ここから先はネタバレあり。
注意してください。

感想(ネタバレあり)

ストーリーは。
おもちゃ会社、立花トーイの社長・部長・研究員とマーケッターの世界と。もう一つ「ゴドーを待ちながら」の世界が交錯する。立花トーイの世界では、究極の日常「ソウル・ライフ」を作ろうとする。ゴドーの世界では、ゴドーを待っているウラジミールならぬウラヤマと、エストラゴンならぬエスカワは、待ちくたびれていろんなもので遊んでいて。そこに、(来るはずのない)本家ゴドーと、元祖ゴドーの2人が現れてしまう。そして、それを何処か遠くで眺めているような、男たちの心の中にいるような、みよ子、という女性。彼らの頭の中なのか、仮想現実なのか、あるいは現実なのか・・・の物語。・・・言わずと知れた、劇団「第三舞台」の旗揚げ公演の作品。この作品、ストーリー説明するの、基本無理。とにかく男五人が、舞台中を駆けずり回り。シャツの色が変わるくらい汗たらして。時事ネタ含めて笑かしながら。でも、人の孤独と自立との関係を鋭く描いた作品。

私自身は、1991年版を穴が開くほど読んでいるけれと、今回ベースにしているのはおそらく、2014年版。スマホとか、オキュラスリフトとか、あるいはアナ雪とか、ふち子とか、新たな「今」要素も取り入れられてて面白い。とはいえ、今は2020年だから、6年前の戯曲で、既に古くなっている。結局のところ、「今」の要素を入れないとこの芝居は成立しないけれど、2014年版では、あきらかに取り込まれていないであろう、桜を見る会のシュレッダーなど、2020年の今の要素も、しっかりと織り込まれていつつ、ベースは元の2014年版なんだろうなぁ、というメリハリがよかった。

今回の公演、前半、立花トーイの話が出ている時、いろいろと時事ネタが出てくるが(とはいえ、2014年頃のネタが当然多い)客席がそれ程湧いてなくて、何だか私の笑い声が目立って困った。確か、1997年版の第三舞台が上演中、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」再放送中で、再評価と社会現象化が沸き起こりつつある時。舞台に「碇シンジ」が暴走して出てきたとき、客席は「ポカーン」となった、っていう記述を何処かで読んだことがある(鴻上尚史の文章かも)。その後大阪公演になる頃には、エヴァンゲリオンは社会現象になっていて、客席の反応が全くちがったらしい。ああ、エヴァンゲリオンっ話ってこういう事かな、とも思う。

2020年に「今」を切り取る共通の話題ってなんだ、っていうのを探すのが、とても難しい時代ように思ったり。あるいは、2014年の風俗を振り返る事に、乗っかってこれるセンスって、なかなか難易度が高いのかな、とも思ったり。それこそ、劇中のセリフの通り、「スマホというたこつぼの中で、自分の見たいものだけを見ている」世代だ。後々社会現象になるような話題って、今何があるのか、という問いもある。そもそもマスメディア、という物自体の輪郭が崩れつつあるのが、2020年の今だ。そういう意味で、普遍的なテーマとしての味わいは変わらないものの、「朝日~」の上演は、今後難しくなるのかなぁ、とも思った。要は、1981年、1991年の熱は、悲しいことに取り戻しもない事なのかもしれない、と思う。

演出家が、つかこうへいさんのお弟子さん(?)のよな存在のようで。他の方の感想を読むと、「つかこうへいテイスト」という言葉をみた。私は、つかこうへいをよく知らないので、つかテイスト、というのはよく分からないけれど、少なくとも音楽を多用している、第三舞台-鴻上尚史版の1991年、1997年版とは大きく異なっていた。冒頭、やっぱり「The end o f Asia」なのかな、「朝日~」と言えばこの曲と思ったが、使っておらず(1991年版では、戯曲指定の曲だと思う。ひょっとしたら、2014年版の戯曲がそもそも「The end of Asia」指定じゃないのかもしれないけれど、未確認)。郡唱シーンも、どちらかというと音楽というより、台詞のみで聞かせている。途中、ゴドー2が登場する「トランシルバニアのサミーが死んだ」も同様。まさかこのシーン、無音で台詞のみ聞かせながら出てくるとは思わなかった。・・・と、比べる視点で観てしまうのは申し訳ないけれど。1つの作品として、むしろ音楽に頼らず、独唱をちゃんと聞かせて魅力的に成立させているのは、自分の脳内の「朝日~」の解釈としてはなかったと思う。先日、「ファントム・ペイン」を小劇場でしているのを観た時も、同様にモノローグ化して魅せているのを見た。鴻上尚史の戯曲は、第三舞台だから成立するんじゃないかなぁ、とずっと思ってきたのだけれど、そうじゃない可能性があるんだなぁ、というのを再度感じた。

やっぱりこの舞台は役者さんの魅力が大事な作品。粂谷大樹、クールなイケメン所。なんかこうクールなんだけれど、ちょっとふにゃっ、としているのが好き。山口将也、細い線の体で動き出すとすごく面白いなぁ。ドンタコス好き。川野雄平、イケメンなんだけれど、崩し方というか、笑かせ方がよくて、迫力が凄い。今宮稜正、面白い。舞台の笑いの方向性を定めている感じ。「トランシルバニアのサミー」の後半部分は、ちょっと震えるものがあった。あれ、無音でいくのね。すごい。後藤光輝、舞台経験浅いって自ら言ってて、正に少年の役所なんだけれど。声ちょっとからしてるけれど、前向き続けるのがよかった。

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