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【観劇レポート】劇団四季「カモメに飛ぶことを教えた猫」

#芝居,#劇団四季

【ネタバレ分離】 劇団四季「カモメに飛ぶことを教えた猫」の観劇メモです。

公演前情報

公演・観劇データ

項目データ
団体名劇団四季
カモメに飛ぶことを教えた猫
原作『カモメに飛ぶことを教えた猫』
ルイス・セプルベダ著 河野万里子訳 / 白水社刊
脚本劇団四季 企画開発室
演出山下純輝
日時場所2025/07/26(土)~2025/08/29(金)
自由劇場(東京都)

CoRich 公演URL

団体の紹介

言わずと知れた、日本最大規模の劇団です。

劇団四季

過去の観劇

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

〈はじめに〉

『カモメに飛ぶことを教えた猫』は、猫とカモメの温かい心の交流を描いた、劇団四季ファミリーミュージカルです。
原作は、チリの小説家、ルイス・セプルベダの同名児童小説。ひん死の母カモメから卵をたくされた猫のゾルバが、彼女と交わした3つの約束を果たすため、仲間と力を合わせて奮闘する姿を描きます。

このミュージカルを通して伝えられるテーマは、“殻(から)をやぶる”。登場するキャラクターたちがそれぞれ自分の殻をやぶって成長していく姿は、“勇気を持って、一歩ふみ出すことの大切さ”を教えてくれることでしょう。
1964年『はだかの王様』以来、半世紀にわたり四季が上演しているファミリーミュージカルは、30作品以上。「命の尊さ」「愛と勇気の素晴らしさ」「友情や助け合いの大切さ」などを、メッセージとして織り込んできました。

未来を生きる子どもたちへの祈りを込め、劇団四季が創作したファミリーミュージカル。勇気を持って一歩前にふみ出すことの大切さを教えてくれる心温まる物語を、ぜひ劇場で!


ドイツ・ハンブルクの港町に暮らす黒猫ゾルバは、ある夏の日、汚れた波にのまれて息絶え絶えに横たわるメスのカモメ、ケンガーと出会います。「私の卵を食べないで」「ヒナがかえるまで面倒をみて」「ヒナに飛ぶことを教えて」。ゾルバにそうお願いをすると、そのまま息絶えてしまったケンガー。ゾルバはとまどいながらも、ケンガーに亡き母の姿を重ね、約束を果たそうと決意するのでした。

“猫がカモメに飛ぶことを教える”。無謀(むぼう)なことだと皆が言うなか、猫のまとめ役の大佐は「しっぽの誓い」を提案します。それは、街中の猫に協力してもらう代わりに、約束を果たせなければしっぽを切られて街を追放される、というもの。きびしい決まりですが、ケンガーのため、彼女から託された卵のため、ゾルバは誓いをたてます。

仲間の協力を得たゾルバは、さっそく卵をかえす方法を探すうちに、長い間卵を体で温めれば良いのだと知ります。途中、彼らを憎むチンパンジーのマチアスとネズミたちに邪魔をされながらも、なんとか卵を温め続けるゾルバ。やがて、卵からヒナが生まれます。ヒナは、“幸せになるように”という願いを込めて、「フォルトゥナータ(幸運な者)」と名づけられました。

ゾルバたちの愛情を一身に受け、すくすく成長するフォルトゥナータ。しかし困ったことに、自分を猫だと思い込んでしまった彼女は、なかなか飛ぼうとしません。
飛ぶことを教えるのはもう少し先になってからでいいじゃないか――フォルトゥナータが可愛いあまりに仲間がそう言うなか、ゾルバはあるカモメから重大な事実を知らされます。冬が来る前に南に向けて飛び立たなければ、この街の寒さにたえきれず、フォルトゥナータは死んでしまうだろうというのです! さぁ大変、一刻もはやく飛び方を教えなくては!

そんなとき、マチアスがあらわれ、「ゾルバのしっぽと引き換えに、飛び方を教える」と告げます。 愛すべきフォルトゥナータの命を守るため、母カモメのケンガーとの約束を果たすため、ゾルバはどのような決断をするのでしょうか。
彼らの運命やいかに…!

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

項目データ
観劇日時2025年08月14日
13時30分〜
上演時間115分(途中休憩を含む 休憩 15分)
価格6000円 全席指定 四季の会会員割

満足度

★★★★★
★★★★★

(5/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。

感想(ネタバレあり)

海に流れる油にのまれて瀕死のかもめ。通りかかった荒くれ猫のゾルバに「卵を育てて欲しい、そして産まれた子に飛ぶことを教えて欲しい」と託して死ぬ。託されたゾルバは友達ネコや学者ネコの力も借りて卵を温めて45日目にふ化。ゾルバを「ママ」と呼ぶカモメの子はフォルトゥナータと名付けられる。猫の中で育ったので、フォルトゥナータは自分自身を猫だと思っている。ゾルバはたまたま出会ったカモメがもうすぐ南に飛んでいくことを知る。ハンブルクの街では寒すぎてカモメは冬を越せないから。ゾルバは慌てて、フォルトゥナータに飛ぶことを教えるが・・・まとめるとこんなお話。

夏休み恒例の劇団四季ファミリーミュージカル。原作も含めて作品初見。ヨーロッパではベストセラーになったチリ生まれでドイツを拠点に活動するルイス・セプルベダの児童文学が原作とのこと。2019年に劇団四季のファミリーミュージカル化。同年に続いて二度目の上演らしい。

一見奇妙に思える「猫がカモメの子を育てる」という設定が、いくつもの多層なメタファーと、そして親の子への無条件愛情を余すところなく表現している。子ども向けのファミリーミュージカルなんだけれど、親が客席で泣く。いや泣かずにはいられない作品。特に二幕後半は結構涙しながら観た。良い作品に出会えたなぁとしみじみ思った。

猫がカモメを育てるという奇妙な設定が、いろいろな現実社会の状況の巧妙なメタファーになっている。ごく順当にとらえれば、親を亡くして一人で生きることを余儀なくされた子どものようでもあり。あるいは、子どもと親とは別の一人の人間なのだという単純な事実だったり。ひょっとすると、「社会的な階級」みたいなものを飛び越える強さを子どもには持ってほしいという親の願い、なのかもしれない。(オス猫の)ゾルバの事をフォルトゥナータが「ママ」と呼び続けるのは、劇中の簡単な説明の通り「刷り込み」の結果でしかないのだけれど、それでも最後まで「ママ」と呼ぶのは、今の社会で少しねじれてしまったジェンダーの構造を表している・・・ような気もする(考え過ぎかもしれないが)。

メタファーが多層な構造を持っているのに、細かいことはあまり説明しない。だから、観た人がある程度自由にいろんなことを感じ取れる。でも軸として「(たとえに血がつながっていなくても)親の愛情はどんなものにも勝る」みたいなところに収束させていく。そりゃ観ている大人、特に誰かを育てた「親」になった経験のある大人は泣くよなぁ・・・。近くに座っていた50代くらいの女性が、ゾルバがマチアスにしっぽを差し出しているシーンで、声を出して号泣していた。そうだよなぁそうだよなぁと思いながら、私も涙せずにはいられない。

この作品を観て、子どもはどんな事を感じるんだろう。帰りしな、割とケロッとしていた子が多かった気がする。「ネズミが可愛い」って騒いでいる子も見かけた。ひょっとすると、親ってこんな思いを持つのかな、みたいな、子どもなりのちょっとぼんやりした像、なのかもしれないなぁ・・・なんてことをアラフィフのおじさんは想像してみる。でもきっと歳を重ねていけば、いろいろと気が付くことが多い作品なんじゃないだろうか。この作品を観て育った子が、将来振り返った時にどんな感想を持つのか、少し楽しみだったりもする。

フォルトゥナータはカモメだけれど、猫の仲間から愛情をもって育てられる。思えばどこか「醜いアヒルの子」のようで、でもアヒルの中の白鳥とは全く正反対な状況。他にも、マチアスとネズミたちの関係がどこかライオンキングっぽかったり。他にもいくつか、既存の作品の構造の影を感じる作品だった。

ラスト。フォルトゥナータは実際に飛ぶのか?ワイヤーアクションか?と思うも。予算的な部分もあるし、地方興行もある作品なので、ワイヤー使うのは難しいんじゃないかなぁ、なんて下種な現実的な勘定も同時に想像してしまう(汚れた心の大人でスミマセン)。結果フォルトゥナータは、想像の中で飛ぶ。舞台なんだから想像の羽を広げさせられればそれでいいのだが。一方「ピーターパン」のように、ラスト客席の上を飛んだら、それはそれで子どもの心に残るインパクトは凄いだろうなぁみたいなことも同時に想像してしまう。そんな事は思いつつも、飛んだ後、何も語らずに潔く幕が下りるのが良い。あれ以上後日談とかダラダラ語られたら邪魔で仕方ないなぁ、などと思い。

心の中で飛んだ、子どもたちのなかのフォルトゥナータはどこへ行くのか。そんな事を考えながら浜松町駅まで歩く。交差点で待ってたら「ママ、泣いてたよね」とひつこく迫る子どもに遭遇。ママ泣くよ、そりゃ(笑)。そっとしておいておやり。

舞台#芝居,#劇団四季