観劇

【観劇レポート】劇団papercraft「旧体」

【ネタバレ分離】 劇団papercraft「旧体」の観劇メモです。

初回投稿:2025年09月01日 19時00分
最終更新:2025年09月02日 10時43分

公演前情報

公演・観劇データ

項目 データ
団体名 劇団papercraft
劇団papercraft第12回公演
旧体
脚本 海路
演出 海路
日時場所 2025/08/29(金)~2025/09/03(水)
KAAT神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

CoRich 公演URL

団体の紹介

劇団ホームページにはこんな紹介があります。

劇団papercraftとは。

海路が代表を務める団体。

海路がその時にやりたいこと、感じたこと、伝えたいことなどを、表現する場として立ち上げる。

フィクションを徹底的にリアルへ落とし込み、事実になる瞬間を創作する作品を主に手掛ける。

劇団papercraft

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

ある日、誰かが言いました。
これは、人類の進化だと。

世界に、球体が出現したのは、もうかなり前のことでした。
出現した、というより、人間が変異した、という方が近いのかもしれません。
そしてその球体が開いた時、人間は全能へと生まれ変わるのです。

一方の私は、私の気持ちは、ずっとあの頃のままです。
どうか、私の生きやすい世の中になりますように。
そんなことを思った、あくる日でした。

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

項目 データ
観劇日時 2025年09月01日
19時00分〜
上演時間 130分(途中休憩なし)
価格 5900円 全席指定

満足度

★★★★★
★★★★★

(5/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。

感想(ネタバレあり)

人が、ある日突然変異する。直径3mほどの球体に「閉じて」224時間すると「全能」として生まれ変わる。全人類の人口の数%が変異をしているが、誰が「全能」になるのかはどうやら分からない。全能になると五感のすべてが研ぎ澄まされ記憶が完璧になる。全能になれない「無能」の人との対立の時代が始まる。岩井早紀は、家庭教師をすることになった高校生が初めて会う日に「全能」になった。教科書を一瞬で覚えてしまう高校生には家庭教師など要るはずもなく勉強などそっちのけで早紀に恋心を抱いている様子。早紀の夫の宗次郎も昼寝していたと思えば「全能」に。かつて息子を事故で亡くした二人だが、五感が研ぎ澄まされた宗次郎は息子の部屋をそのままにしておくことに耐えられず、早紀に断りもなく部屋の遺品を整理して捨て仕事を辞めて大学に行くと言い出す。噛み合わずに別居から離婚の道へ。ニートみたいな彼氏と同棲している友達の史果もいつしか全能に。ただ彼女は感受性が強くて生きるのが辛く「五感を抜く」手術を受ける。そんな人類の転換点を早紀の視点で見たお話。

「球体」を経て「全能」になれない「旧体」依然とした「無能」のお話。嫌なものをまじまじと舞台に立ち上げて見せられた感覚。ストーリーをまとめて書き出してみると、作中のあまりの情報量の多さに気が付く。もっと細かい話があったのだが、全部を書けそうにない(台本売ってたのかな…買えばよかった)。SF的で「世にも奇妙な物語」に出てきそうな話でもあるが、そこで描いているのは夫婦と友達を軸とした淡々とした日常。終始「あと味の悪さ」とでもいうのか、恐怖みたいなものが印象に残る作品。

「全能」になることと「無能」に留まることが、もちろん現実世界の様々なメタファーになっているのだが、観ていて様々なものを思い浮かべ重ねているうちに「決してお互いを分かり合えない二項対立的なもののすべて」を象徴しているように思えてくる。例えば「AIを使う人と使わない人」とか「子供のいる女性といない女性」とか「整形手術を認める人認めない人」とか「戦争に絶対反対な人と必要悪として認める人」といったような。些細な事だとしても決して分かり合えない対立がこの世の中には存在する、という絶望感が押し寄せてくる。救いみたいなものがなく、後味の悪さが最後に残る(おそらく意図した形で)。

以下、感じたことをメモ的に残しておくと。

全能になるまでの閉じた球体は、運動会で使われる"大玉ころがし"の玉のような不気味な大きさだが、喉に飴を詰まらせて亡くなった二人の息子のなめた「飴」と、妊婦のお腹の丸みに、後半の展開で重なって見える。宗次郎が別居中に孕ませた別の妊婦の姿が最後に出てくるが、どこか子孫を残すという行為がある以上、この分断の絶望的な溝は決して埋まらない…と言っているようにも感じる。

「全能」になろうとする早紀に、全能になれるクリームとヨガレッスン?を売りつけてくるインストラクターがいるのだが、そのインストラクターの胡散臭さが生々しい。まるでダイエット商品を売るかのようなノリで商品を売ってくる。「全能」の気持ちを決して理解できないのに「全能」になる事を望む人がいて、そこに付け込んでくる輩がいるんだなぁとか。対立は常に商売のネタにもなるという事か。ヨガを辞めようとする早紀を引き留めるのが、正にスポーツジムを辞める際に引き留める会話そのものだったり。あのインストラクター、自分は「全能」だと言っていたが、ひょっとすると「無能」ではないのではないか?と思ったり。

友達の史果が「五感を抜く」手術を受けるというのが怖い。五感が鋭すぎると「全能」になじめずに過敏になってしまう。史果が"同棲して飼っていたニート君"に押されて車いすで登場。五感を抜くという事は、もう殆ど植物状態と変わらない状況のように思うがそれを望む怖さ。それでも史果が最も落ち着くのが"飼っている"と冗談していたニート君と一緒にいる事だというのがどこか皮肉でしかなく。

・・・などなど。いろいろ書き出してみたものの、全体的なあと味の悪さと、細かいエピソードの記憶が続く。気が付くと「絶対に分かり合えない溝」みたいなものについて延々と考えを巡らせてしまう。思考を強いてくる強烈な作品だった。

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