KAAT「セールスマンの死」は重い芝居だがスゴイ!愛知東海市芸術劇、兵庫県立芸術文化センター公演あり。ぜひ風間杜夫・片平なぎさを観るべし

#KAAT

悲しい話だが、舞台の魅力満載。風間杜夫は69歳とは思えない。
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観劇データ

場所 KAAT 神奈川芸術劇場大ホール
日時 2018年11月15日 14:00-
価格 6000円。2階A席
上演時間 3時間15分(休憩込み)/一幕80分/休憩15分/二幕100分

KAAT、KAAT、KAAT・・・。

前回、KAATの主催公演「華氏451度」を観て以来、KAATに強く心惹かれている。

横浜にこんなに芝居の観やすい大劇場があったのか。恥ずかしくも知らなかったからだ。KAATの主催公演はとことん観に行ってみようと決めたときに見かけたのがこのチラシ。「セールスマンの死」は、若かりし頃に、題名だけは聞いたことがあった。しかし、読むことなく40歳を過ぎてしまってた。またとないチャンス。ありがとうKAAT、とばかりに観に行くことにした。日程調整に難航はしたものの、やっとKAATでの楽日、4日前、11月15日に観ることができた。

平日マチネだというのに、客はほとんど満員のように思えた。これは、風間杜夫、片平なぎさの影響だろうか。客席には、シニア層が若干多いものの、学生っぽい客や、私のような中年サラリーマンなど、いろいろな年代の観客のいる中、幕は開いた。

アーサー・ミラーの代表作

「セールスマンの死」は、36年、セールスマンとして会社に勤めあげた主人公、ウイリー・ローマンと、その妻リンダ、二人の息子、ビフとハッピーの物語。ウイリーの死の2日前の物語を、家族の若かりし頃の回想を振り返りながら、追いかける。

ストーリーだけまとめてしまうと、こんな感じだ。が、おそらく、作品のストーリーについては、私が語るのも、無粋といえるほど有名な作品だろう。
セールスマンの死 - Wikipedia

以降は、若干のネタバレがあるのでご注意を。

家族のすれ違い、資本主義、セールスマン

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テーマは、非常に重い。舞台の進行も非常に重く、客席から笑らしい笑が起きる事はなかった。一幕は、外国劇の特徴だろうか・・・どうしても説明のセリフが長く、間のびする場面が多く、若干緊張感には欠けたかもしれない。しかしその心配をヨソに、一幕後半あたりから舞台に引き込まれた。周りの雰囲気も同様だった用に思う。終盤のシーンでは、客席は、静けさと、あちこちから涙をすする音が聞こえた。KAATの客席は、重いながらも深刻な問題を、しっかりと受け止められているように思えた。

どんな「秀作」も、大抵の場合テーマは単一ではない。複数のテーマが多面体の様相を成して、観るものを様々な視点からひきつける。観る人によって感じるものが微妙に変化するからこそ、秀作なのだが。今回のKAATでの上演の「セールスマンの死」も、いくつかのテーマが浮かび上がるような演出をしていた。私が強く感じたのは、3つ。

一つは、家族・親子の断絶。
父の息子に対する期待と、その期待にこたえられなかった息子。そして、「応えられない」原因を作ってしまった、父。父の厳しい語調に耐えながらも、そんな家族を、愛し信じて待ち続ける母。この3者は、劇中、とうとう、心が交わることがなかった。最後の最後まで、お互いは交わることがなく、ウイリーは死んでいく。父は子供に愛されていると知って、感覚のズレた喜びの中で死んでいく。既に分かり合うことが出来ないことを、息子はよく知っている。この絶対にかみ合わない問題は、きっと世の幾億の親子の間で繰り返されてきたのだろう。
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一つは、セールスマンという職業の悲哀。
「セールスマンは、何を作るでもない。ただ、他人に好かれれば売れる仕事だ。」という。職人とは異なる、どこか資本主義・商業主義が生んだ「売るための職業」だ、という事だ。必要を作り出すために、あくせく働く、というニュアンスが込められている。「ただ売って、老いれば何も残らずに捨てられる。」という台詞が悲しすぎる。セールスという仕事を飛び越えて、資本主義・商業主義に対する批判。競争主義に甘んじてしまう人々と、「楽しくあるべき人生」から阻害されている「働く人々」の悲哀が描き出されている。
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最後は、雇われる、ということへの悲哀。
「お前が産まれた時、先代の社長に頼まれて名前をつけたのはこの私だ!」と老いぼれたウイリー・ローマンは、あとを継いだ若社長に言う。ウイリーの想像の産物なのか、亡霊なのか分からない兄の影は、ウイリーに常につぶやく。「名前を付けたなど、そんな事、彼にとって何の価値もないことなのだ!」とささやく。また、「森に入れ。森に入らなければ分からない。その勇気を持て」とも。
セールスではなく、勤めあけた職場ではなく、新しく自分の糧を産み出すものに挑戦せよ、と、亡霊は忠告している。しかし、友人に職を薦められても、ウイリーは決して自らの職、セールスマンを捨てようとしない。たとえ給料が、ゼロ、だとしても。
どこか自分の人生を切り開こうとしない、雇われ、という身に甘んじてしまったウイリーがまた悲しい。

ウイリーは死の直前、陽のあたらない庭に、懸命に種をまこうとする。にんじん・ラデイッシュ。決して育つことのない事が分かってるだけに、この暗喩は絶望的だ。それでも、気がふれたかのように、しかし必死に懸命に、種をまくことを止めれないウイリーに、胸を打たれてしまう。

息子を持つ親として私が考えたことは、結局の所、息子にどんなに憎まれようと、息子を愛し、愛されていると「錯覚」する余裕を親が捨ててしまっては、親という立場は成り立たないのだ、という事だ。セールスマンという仕事は、その余裕さえも奪っていく。そういった、資本主義・商業主義的な側面も描いたのであろう。

脚本は、1949年、第二次世界大戦が終わり、経済成長が著しくなってきた頃のものである。時代背景からも納得できるし、2018年の今でも、むしろこのテーマは切実になっている事に驚きをおほえる。

演出は、阿佐ヶ谷スパイダースの長塚圭史。これらの重いテーマを見事に演出していた。

風間杜夫、片平なぎさ、山内圭哉・・・

風間杜夫のウイリー・ローマンは、彼以外が演じることを想像することが難しくなるくらいの完成度を示していた。唐突に感情を表すさまや、妻・息子との会話がいつまでたってもかみ合わない様など、悲しい男を見事に演じきっていた。カーテンコールまでウイリーを演じている様は、カッコよい。ゆっくりと去る風間さんは、とても69歳とは思えなかった。
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片平なぎさ演じる妻リンダは、常に日陰の存在でいて、感情を抑えている役。ラストのシーンでは、「なぜか涙が出ない」と、とつとつと語る片平の演技に、逆に涙が止まらなくなっている人を何人も見た。
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ビフを演じた山内圭哉が、最後に父親との断絶を決意するシーンの感情の起伏は、観ていてあまりにも切なく、また切実だった。老いた父の前では、決して自我を出さなくなっていた息子が、父にありったけの感情をぶつけて決別する。しかし父は別の解釈をしてしまう・・・。もう書いていて悲しい、しかないのだが、重い役を演じて観客をひきつけていた。

亡霊なのか幽霊なのか、ウイリーの心の声なのか。時折現れる兄のベン、村田雄浩が物語を俯瞰的な視点で見つめる手助けをしていた。
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ちなみに、風間と片平、スチュワーデス物語以来の35年ぶりの共演だとか。手袋を口で脱ぐ様を真似しているのを、劇場内で何度か観ましたね。会話に出ちゃうんでしょうね・・・笑。ただ、上記舞台のため、そんな様子は微塵も見せなかった。
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KAATだけじゃない。愛知・兵庫も。

質の高い舞台作品を魅せてくれるKAATに、今後も期待しつつ。次回は初日にレポート出来ればなぁ・・・と願望だけを書いてみました。
「セールスマンの死」愛知の東海市芸術劇、兵庫県立芸術文化センターの公演もまだ残っています。関東以外の方も、ぜひ感動を受取にいってくださいね。

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