【観劇レポート】俺は見た「セックスと束縛と自由」
【ネタバレ分離】 俺は見た「セックスと束縛と自由」の観劇メモです。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
項目 | データ |
---|---|
団体名 | 俺は見た |
回 | 俺は見た |
題 | セックスと束縛と自由 |
脚本 | 八木橋努 |
演出 | 八木橋努 |
日時場所 | 2025/07/16(水)~2025/07/23(水) サンモールスタジオ(東京都) |
団体の紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
『俺は見た』は、2013年4月。ギャラリールデコで第一回目を上演しました。
『俺は見た』は、八木橋 努の演出、台本で上演していきます。多様化する現代の日本社会において現実問題「調和」はほど遠く、むしろ分断が進んでいます。『俺は見た』は、多様化する集団社会で生きて行く中で感じる不自由さや恐怖、痛みを現代口語の対話劇で上演していきます。
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
価値観や常識が多様化し分断が進む社会。それでも現代人は家族が欲しいのか、それとも自由でもある孤独を選ぶのか。そして人間にとってセックスとは・・・自分と相手を束縛するものではないだろうか。愛なのか、ただの欲求の捌け口なのか、手段なのか。セックスは必要なのか。本音が語れなくなっている現代社会での男と女の在り方を群像劇で描く120分。
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
項目 | データ |
---|---|
観劇日時 | 2025年07月17日 19時00分〜 |
上演時間 | 135分(途中休憩なし) |
価格 | 4500円 全席自由 |
満足度
(5/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
舞台後方にバーカウンター。前方上下に、二人の男の部屋。緻密な舞台セットの中で展開される、女と男と、セックスをめぐる濃密な男女の濃密な、群像劇・会話劇。ストーリーが様々過ぎて、細かく書くのは難しい。
場面転換はするものの(確か)ラスト以外は音楽もかからず、ど真ん中の会話劇。圧倒された。「すごい作品を観た」というより、「すごい空間に居あわせた」、あるいは濃密な男女の会話を「目撃した」という感覚が強い。そういえば団体名は「俺は見た」、毎回こういう作風なのだろうか。タイトルに「セックス」とあるが、ヌードとかそういう類の直接的な性表現はなく、だが終始セックスと男女の事について思いをはせずにはいられない、大人の物語。
行きかう男女の価値観が様々であるのが面白い。極端なところで言うと、今となっては後ろ指刺されるような「セクハラ発言おじさん」から、いわゆる「比較的過激なフェミニスト?的な思考の女性」まで。この極端な二人の口論が、冒頭とラストに1回ずつ展開されるのだけれど、最初は「まだこういう昭和のおじさんいるのか」という風に映る。しかし物語が展開して様々な価値観が舞台の上にあけっぴろげに展開された後には、どこか「セクハラおじさん」の発言に一理も二理もあるように思えてくる。それくらいに、現在の男女の仲の価値観は多様化して、その割にある一方向の見方が強要される、そんなちょっと歪んだ世の中であることに気が付かされる。
個人的な感覚としては、殆どすべての登場人物に共感しつつ、やっぱり男の側に少し寄ってしまう自分を発見。例えば、雑誌編集者の男の、あの下心ある感覚はものすごく理解できるし、頑なにセックスを拒んでいる割にはデート慣れしている男の感覚も分かる。・・・自分として展開に違和感を感じないということは、様々な価値観を自分なりに取り入れて生きていけているのかなぁという気もする一方、観客によっては「こいつは許せない」みたいな拒否反応的なものを持つ人もいるのかなぁ、なんていう事を想像してしまう。前述のフェミニスト思考の女性が、実際にこの劇を観客として観劇したら、どんな事を思うのだろう・・・など。
芝居を観終わって、何か新しい視点を提示されたわけではなかった。どちらかというと、すでに日常に転がっている感覚を、舞台に綺麗に結晶化させたようだった。舞台に「新しい感覚」的なものを求めている自分としては、多少の物足りなさは感じるものの、セックスをめぐる男女の関係のあまりの濃密な空間に、日常の感覚を再認識させられて、さらに想像を膨らませてくれた。そんな感覚の芝居だった。
舞台セットが緻密。特にバーの配置と作りがたまらなく良い。実際に飲み物を飲む役者さんたちのトイレの頻度が心配になる。しかしあのバーは、すべての飲み物が1000円で便利な割に、みんなお勘定はいくらか、最後に訊くのが面白いな。最後の方には、変なツボにはまってしまった(心の中で1000円だよ、とツッこんでいた)。