【観劇レポート】演劇プロデュース『螺旋階段』「残響に沈んでゆく」
【ネタバレ分離】 演劇プロデュース『螺旋階段』「残響に沈んでゆく」の観劇メモです。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
項目 | データ |
---|---|
団体名 | 演劇プロデュース『螺旋階段』 |
回 | 第37回公演 |
題 | 残響に沈んでゆく |
脚本 | 緑慎一郎 |
演出 | 緑慎一郎 |
日時場所 | 2025/07/18(金)~2025/07/21(月) スタジオ「HIKARI」(神奈川県) |
団体の紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
演劇プロデュース『螺旋階段』は、2006年8月に小田原で結成した劇団です。
2006年小田原にて。
居酒屋にて緑慎一郎、田代真佐美、上妻圭志、三春瑞樹の 四人で集まり劇団をやることを決意。酒の勢いで最初は 「マッチ小屋」という名前だったが朝起きたらこれは駄目だと緑が演劇プロデュース『螺旋階段』に改名。
以後、年に二回のペースで公演している。 小田原を秋公演、横浜を春公演に現在は落ち着いている。 全て緑慎一郎が脚本と演出のオリジナル作品を上演。 一般社団法人神奈川県演劇連盟 代表理事を緑慎一郎は担っている。 2026年に演劇プロデュース『螺旋階段』二十周年を迎える。
過去の観劇
- 2024年12月20日演劇プロデュース『螺旋階段』「幻の壁」
- 2024年07月26日演劇プロデュース『螺旋階段』「氷は溶けるのか、解けるのか」
- 2023年12月03日演劇プロデュース『螺旋階段』「小田原みなとものがたり~大漁めでたい編~」
- 2023年08月30日演劇プロデュース『螺旋階段』「血の底」
- 2023年05月30日演劇プロデュース『螺旋階段』「夢見る無職透明」 ・・・つづき
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
■あらすじ
小田原の街で七十年続くうどん屋「鈍亀製麺」は多くの従業員を抱える繁盛店。昼の営業と夜の営業で週に一度の休みがあるごくごく普通のお店。手打ちの麺にこだわり何もかわらない日常を送っていた。そこに東京で暮らしていた娘が帰ってきた。何も聞かされていなかったうどん屋の店主である父親は娘の出現に複雑な思いを巡らせていた。遠い過去の記憶が大人になった今でも残響のように響いている。いつか聞こえなくなるはずだと言い聞かせてきたのに、何年経った今も耳を離れない。■作・演出から作品について
子供の頃、弟がいた記憶があります。僕は一人っ子なので弟がいたのは間違った記憶となります。
でも、短くも長くもない期間、一緒に弟のような存在と生活していたのを憶えています。
名前を憶えています。一緒に走り回ったことを憶えています。笑いあったことを憶えています。
記憶の中の弟は可愛い顔で憶えています。だけど、あの頃が一番大変だったんです。
貧乏で家庭環境も最悪だったんです。だから、とても辛い思いをしていたはずなんです。
大変だった記憶は上手く思い出せません。辛かった記憶は上手く思い出せません。
記憶の奥を掘り返してみようと思います。それが例え辛い記憶でも掘り返してみようと思います。
事実は変わらないのですから。
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
項目 | データ |
---|---|
観劇日時 | 2025年07月20日 18時00分〜 |
上演時間 | 130分(途中休憩なし) |
価格 | 3000円 全席自由 |
満足度
(5/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
小田原のうどん屋の、店のバックヤード。一家が住む家・兼・従業員の休憩場所的な、とても広い居間と庭と縁側が舞台。店を継がなかったらしい姉の帰省から始まる。妹夫婦と父と、ベテランの従業員たちと、何故かフリーのアナウンサーと町の人々と、引きこもって詩を書いているらしい弟が居間に出入りする中、うどん屋の裏側のコミカルな展開が続くが、どういう訳か帰省した姉は棘があり、家族と馴染めていない。その原因が「過去、母親を殺したから」だというのが分かる。父の女性遍歴が徐々に明らかになる中、姉が母親を殺した過去とは一体何なのかを、直接的な説明ではなく、周囲を縁取りながら描く作品。
冒頭、コミカルな面々のやり取りが面白い中、帰省した姉がものすごく嫌な奴に見える。引きこもりっぽい、自称詩人の弟とのやり取りも高圧的だし、観ているだけでストレスだなぁ、みたいなことを感じているが。後半、父の女性遍歴と「お前は女を選ぶ目が無い」という姉から父への暴言とも取れる言葉で、世界が突然ひっくり返る。それ以降見える風景が、それ以前とは全く異なる。「姉が母を殺した」のが、比喩的な表現なのか、直接的なことなのか、この段階では分からないものの。ここで言っている「母」は、姉にとっては「義理の母」で、過去何かがあったのだろうということが分かる。
終盤の会話のやり取りからすると、おそらく限りなく事故に近い状況で母は死んだのだろうと想像する。あるいは、母の方が腹違いの姉を殺そうとして、姉が抵抗した結果母を図らずも殺したのかもしれない。劇中語られないので想像するしかない事ではあるが、さっきまで大きかった姉の姿が突然小さく見える。帰省してきたのも、おそらく離婚か何かかもしれない。姉の中では母を"殺した"小学生以来、その重みが人生にずっしりとのしかかっているのが分かる。そんな会話をしながらうどんをこねる父の、足の踏み方以上に重いものを、避けようもなく背負ってきたのかもしれない。
緑慎一郎の脚本らしく、唐突に姉が一曲カラオケを歌い上げ物語が深刻になりすぎるのを避けつつ(あれ、曲名を忘れてしまった)、ラスト。自称詩人の弟の中原中也の話が切ない。あまり馴染みが無いので真意は分からなかったが、そこには姉とだけ共有できる何かがあるのだろう。冒頭での、姉の弟への当たりようがとにかく「ひどいやつ」に見えていたのが、全くひっくり返っている。店の面々や、父の女性遍歴などはコミカルな面が強いが、それゆえに、姉の苦悩みたいなものが唐突に舞台に重くのしかかってくる作品だった。
うどんを踏みながらの、姉と父と、妹と姉との会話。具体的な話をもう少し省いても良かったかな、とは思った。客の想像に任せてしまうのも悪くないかと。ただ魅入っている私を他所に、客席の奥からから大きなアクビ声が聞こえてきたりしたので、何の物語なのか分からない観客もいたかもしれない。直接的な説明が無いので、物語を理解する難易度は高くはなっていただろうな。加えて、過去作「静寂に火を灯す」にどことなく世界観が似ている気がした(螺旋階段が小田原を舞台にしているのとは別の意味で)。引きこもっている?らしい?男性、というモチーフがちょっと気になるところ。
姉の彩を演じていた村井彩子が素晴らしかった。独特の雰囲気のある役者さんだが、か細い体に誰にも話せない絶望を抱えている様子と、歌の上手さが印象に残り。(圧倒されてて、何の曲を歌ったのか忘れてしまうほどに)(この記事を読んだ方から、ANRIの「悲しみがとまらない」だと教えてもらいましたので追記。)