<観劇レポート>劇団虚幻癖「緋ノ廻ル輪」
【ネタバレ分離】
どもっ\(´▽`*)。てっくぱぱです。観た芝居の感想です。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
団体名 | 劇団虚幻癖 |
回 | 第11回本公演 |
題 | 緋ノ廻ル輪 |
脚本 | 島岡昌平 |
演出 | 島岡昌平 |
日時場所 | 2019/05/22 (水) ~ 2019/05/26 (日)--シアターKASSAI |
事前に分かるストーリーは?
劇団ホームページには、こんな記載がありました。
緑色の空に覆われた世界。
四方を森に囲まれた館で、自分が何処から来たのかも判らない幾組の家族が暮らしている。
彼等は住人以外の人間を知らない。
来訪者もいなければ、どれだけ歩いても森から抜けられないからである。
しかし時折、急に誰かが失踪する。
すぐに帰っては来るが、誰もが失踪時の記憶を失っている。
ここは何かの実験場で、住人の誰かが外側と繋がっているという考えが広まり、皆一様に疑心暗鬼に陥っていく。
家族と共に世界から脱出することを願い、失踪に怯えながら暮らす人々。
徐々に追い詰められていきながら、彼等は何が自分にとって最も大切なものか問われていく。
観劇のきっかけ
チラシが気になったのと、twitter経由で、出演する役者さんから、お誘いを頂いたのがきっかけです。
ネタバレしない程度の情報
上演時間・チケット価格・満足度
観劇した日時 | 2019年5月23日 19時00分〜 |
価格 | 3800円 全席自由 |
上演時間 | 100分(途中休憩なし) +この日は10分押し |
個人的な満足度 CoRichに投稿 | ★★★☆☆(3/5点満点) |
客席の様子
男女比は半々ですが、男性はサラリーマンの会社帰りが多く前の方に座っていた気が。女性は一人が多い気がしました。全体的に観劇に慣れていない人が多い印象で、バタバタして10分押しで開演でした。
観劇初心者の方へ
危険な事や、嫌な事は全くない、安心な舞台ですが、反面、難解さや、演出の特殊さがあり、観劇初心者の方にはあまりお勧めしない舞台です。
観劇直後のtweet
劇団虚幻癖「緋ノ廻ル輪」観劇。110分休無、含10分押。
うーん。好みかというと、否、な舞台。セリフ間、役者間の感情線が切れてるのが辛い。
ただ、舞台表現、展開される世界観はどこか目が離せず。サルトル「出口なし」映画「キューブ」を思い出す。結末は読めた。
感情線切れてるのは意図的演出か?— てっくぱぱ (@from_techpapa) 2019年5月23日
感想(ネタバレあり)
ストーリーは、事前のパンフレットの通り。起源も分からないまま、何故か周りを森に閉ざされた館に囚われた人々が、脱出をしようと試みる話。疑心暗鬼や悪だくみに阻まれて、いつしか人々は殺し合いをするようになる。その殺し合いを扇動する男は、ただ一人生き残れば、脱出できると信じている。しかし、当然最後になっても救済は訪れない。全員が死んだところで、ドアは開く・・・ストーリーだけまとめるとこんな話。
話としては、サルトルの「出口なし」、映画「キューブ」、あるいは映画「バトルロワイヤル」あと、少し昔だが扇動するスタイルは、惑星ピスタチオで佐々木蔵之介がやった「ロボロボ」を思い出す。どうして囚われたのか。それ以前の生活があったのか、なかったのか。登場人物たちはそれぞれの個体なのか、あるいは集合意識なのか。家族は、本当に家族なのか、それとも他人なのか。誰が騙すのか、騙されるのか。扇動するのか、されるのか…。そんな前提は、一切明かされず。極限というか、不条理な世界の中で、人間の業とは、結局のところ他人であり、他者との関係である、という、深い部分を描いている脚本のプロットと世界観は、興味深かった。ただ、上記作品に似ている事もあり、かなり早い段階で結末が読めてしまったけれども。
加えて、ゴシック調というのか、どう表現したらよいのか分からないけれど、衣装や舞台美術の雰囲気、照明の雰囲気は、囚われている世界観を鮮烈に表していて、純粋に楽しむことができた。また、後半、血みどろな殺し合いになっていく訳だけれども、アクションというか、舞台の立ち回りだったり、歌舞伎的というか宝塚的な様式的な演技は、ものすごく組まれている印象を受けたので、純粋に楽しめた。「舞台でしか成し得ない表現か?」という点では、たしかにそうだったのだけれど。
「けど。」「けど。」と、どうも奥歯にモノの挟まった感想になってしまう理由。役者さんのセリフや演技に、感情の線が殆ど繋がっていない事。前半、お話の前提の説明が多いシーンでは、あまりにも感情のこもっていないセリフ、声色だけで感情を作っているセリフ、セリフを受けていないセリフが多くて、もう勘弁、と思ってしまった。「セリフを順番に、間違えずに、間を開けずに、言う、のが演技じゃないからね」と、どこかの演出家が言いそうな言葉を胸に観ていた。要は、(表面的には)演技があまり上手くない人が多い、という事だ。
だが後半、修羅場のシーンが立ち上がってくるにつれて、その世界観の立ち上がりがビビットで、立ち回りがあまりにスムーズ過ぎるので、逆に「感情の繋がっていない演技はワザとなんじゃないか」と思えてきた。そういえば、少なくともお誘いを頂いた役者さん、前観た演技は普通に上手かったけれどもな、と。
・・・これは物語を解釈したいというバイアス故の深読みかもしれない。やはり単に、演技が下手なだけかもしれない…けれど。結局、そのどちらが正解に近いのかは、最後まで判断がつかなかったけれど。
では仮に、感情を繋げない演技が意図的だったとして。その演出が効果的だったのかなぁ、というと、私にはとてもそうは思えず。先日観たKAATの「出口なし」は、ダンスで繋ぐ感情も多かったけれど、役者としての演技が得意でない表現者でも、感情を繋ぐことを目撃したりしている事もあり。上演時間は長くなってしまうものの、もっと情緒たっぷり、まるでシェークスピアの芝居のように、今回の芝居をやってみたらどうなるのかな、と、途中から考え出して止まらなくなってしまった。
そんな訳で、印象は鮮烈だったけれど、どうも好きにはなれない、という、珍しい舞台経験となった。
チラシの裏