<観劇レポート>feblaboプロデュース「ガラテアの審判」

【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 feblaboプロデュース「ガラテアの審判」の観劇レポートです。

公演前情報

公演・観劇データ

項目データ
団体名feblaboプロデュース
ガラテアの審判
脚本アリソン・グレイス
演出池田智哉(24/7lavo/feblabo)
日時場所2022/01/20(木)~2022/01/26(水)
新宿シアター・ミラクル(東京都)

CoRich 公演URL

団体の紹介

劇団ホームページにはこんな紹介があります。

東京を中心に演劇の創作をする池田智哉のソロユニット

feblaboプロデュース

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

『2XXX年。テクノロジーは進歩し、光と電子の走行が社会の全てを形成するようになっても、
人と人の理解と距離は今とそう変わらない程度の未来』

AI技術によるシンギュラリティをむかえた世界、
人間と相違ないアンドロイドは急速に普及し社会に浸透していた。

そんな中、世界で初めてアンドロイドによる少女殺害事件が発生。

当局は持ち主ではなくアンドロイド本人を逮捕、送検する。
これを受けて世界中で勃発する[反ロボット]と[親アンドロイド]のデモ、弾圧、暴動。
判決がそのまま社会を二分しかねないこの事態に司法、検察は及び腰の様子見人事で1審を乗り越えることを決定。
経験浅い女性検事、日和見主義の事なかれ判事、うだつの上がらない国選弁護人による裁判が始まる。
人はアンドロイドを裁けるか、機械に与える刑罰とはなにか、人間とアンドロイドの境界線とは。

多様性尊重に気付いた現代に突きつける、ロボットSF法廷劇。

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

項目データ
観劇日時2022年1月20日
14時00分〜
上演時間120分(途中休憩なし)
価格3300円 全席自由 当日清算

チケット購入方法

CoRichから予約しました。当日受付で清算をしました。

客層・客席の様子

男女比は8:2くらい。40代upの男性が目立ちました。

観劇初心者の方へ

観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。

芝居を表すキーワード
・SF
・法廷もの
・シリアス
・会話劇
・考えさせる

観た直後のtweet

満足度

★★★★★
★★★★★

(5/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
ここから先はネタバレあり。
注意してください。

感想(ネタバレあり)

ストーリーは事前紹介の通り。殺人を犯したアンドロイドに対する、一通りの裁判の模様が、法廷劇として描かれる。世にはアンドロイドが溢れ、アンドロイドを人間と同じように扱う風潮がる時代。実際アンドロイド同士が結婚し、人間と同等に扱うような法律まで出来ている状況。そんな中、これまでも何度も物語として語られてきた、「アンドロイドは人間なのか?」という事を提示する物語。

とても面白かった。テーマは、古くはチャペックから、あるいは劇中の言葉を借りるなら「20世紀の映画」、80-90年代あたりの海外ドラマなんかでも、何度も語られているではあるものの、ロボットの人間性について、法廷だけで描くのがとても新鮮。被告席に立たされた、殺人を犯したアンドロイド「ジャック」に対して、人間か否か・・・ではなく、アンドロイドが心神喪失状態、責任を問えない状態にあったのか、を問う裁判を描く。

古くから描かれているテーマである分、この手の物語は割と同じような結論に落ち着く事が多いものの、この作品は一線を画して、少し新鮮な結論にたどり着かせてくれているように思う。

人間が人間であるという事は、人格が、揺るぎないものとして「自然発生的に」そこに存在することを大前提としている・・・という事の問題提起。殺人を起こし死刑になる人間の悪人も、人間社会から排除されても、そこに「悪人がいて、死刑になった」という人格そのものの存在は否定されない。むしろ死刑になる事で、存在そのものは肯定される。一方、アンドロイドはまさに人工的であるが故、その記憶や行動は、プログラムによって「消す」「改変する」事ができるという事。どれ程アンドロイドの技術が進歩し、人間と同じ感情を持つに至り、どれほど「倫理観」が備わったとしても、結局のところ「自然発生ではない」「記憶や機能を消すことが可能である」という基本的な事が、大きな論点になってくる。

定期点検機能の妨害や、トラウマや、プログラムに侵入するウイルス。様々な可能性を提示して、この「自然発生ではない」という事が、徐々に明るみになる。そして「量刑」が、その矛盾を、むしろ明らかにしてしまう。思うに作者は、アンドロイドは人間とは認められない、と言いたいのだと思う(少なくともこの物語の中では)。その意味で、検察官が「当て馬の新人」で、弁護士はいい加減さが漂う国選弁護人、という構造も面白い。どうしても、弁護側に感情移入して観てしまうけれど、最後まで観てみて、思い入れの構造がうまく設定でバイアスされているのに気づいたような気がした。

作者のアリソン・グレイス(Alison Grace)。初めて聞く名前だったけれど、どんな作家だろう。feblaboの作品紹介をみると、再度タックを組んだ、と書かれているけれど。外人だろうか。それとも日本人のペンネームだろうか。IMDb上にあるこの人と同一人物だろうか(多分ちがう)。軽くググった限り、殆ど情報が無かったので、もう少し詳しく知りたいな、と思った。

気になった役者さん。国選弁護人のフルカワバンリを演じる、坂本七秋がとにかくカッコイイのと。佐神寿歩が演じる、殺された少女の母がリアルだったのと。ニュームラマツが演じる庶務官が印象的。途中途中、目をギラギラさせて法廷をみている庶務官。HAL 9000やターミネーターみたいに、いつかみんなを殺しだしたりしないかと、少し動くたびにヒヤヒヤしていた。武器を法廷内に持ち込む手引きをしたのは、庶務官じゃないの?とか、自信のない想像をしてみたり。

舞台