【観劇レポ】ワンツーワークス「仙人草の凱歌イン・ヨーロッパ」
【ネタバレ分離】 ワンツーワークス「仙人草の凱歌イン・ヨーロッパ」の観劇メモです。

もくじ
初回投稿:2025年12月02日 9時28分
最終更新:2025年12月02日 9時28分
公演前情報
公演・観劇データ
| 項目 | データ |
|---|---|
| 団体名 | ワンツーワークス |
| 回 | ワンツーワークス#43 新シリーズ[時代を見つめる]① |
| 題 | 仙人草の凱歌イン・ヨーロッパ |
| 脚本 | クレメンス・J・ゼッツ Clemens J. Setz |
| 演出 | 古城十忍 |
| 日時場所 | 2025/11/28(金)~2025/12/07(日) シアター711(東京都) |
団体の紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
『ワンツーワークス』は、古城十忍(こじょう・としのぶ)が主宰する劇団です。
過去の観劇
- 2025年07月25日 ワンツーワークス「パラサイト・パラダイス」
- 2024年11月14日 ワンツーワークス「線引き~死者に囲まれる夜~」
- 2024年07月19日 ワンツーワークス「神[GOTT]」
- 2023年11月05日 ワンツーワークス「アメリカの怒れる父」
- 2023年06月18日 ワンツーワークス 「R.P.G. ロール・プレーイング・ゲーム」(2023年) ・・・「#ワンツーワークス」のつづき
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
「仮想空間上の命」をめぐる、ある両親の格闘。
8歳の男の子が交通事故で死んだ。そのことが両親の人生を一変させる。
両親は息子のいない空虚な日常をどうしても受け入れることができず、
やがてコンピューター、カメラ、タブレットなどを介し、デジタルツールの力を借りて、
「息子が生き続ける世界」をつくり出してしまう。
両親は息子を中心とした家族生活の様子をネットで紹介するようになるのだが……。
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
| 項目 | データ |
|---|---|
| 観劇日時 | 2025年12月01日 19時00分〜 |
| 上演時間 | 115分(途中休憩なし) |
| 価格 | 5500円 全席自由 |
満足度
(4/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
ワンツーワークス「仙人草の凱歌イン・ヨーロッパ」
交通事故で死んだ6歳の息子を、あたかも生きているかのように扱う夫婦の物語。SNSで情報発信するものだから、死者を死者として扱わない倫理的な論争を引き起こして炎上して、家には日々脅迫が届く。実態は…息子を生かしておきたいのは妻の方で、夫は息子を生きたように扱う様に辟易しながらも、妻の言っている事に付き合っている。息子は、タブレットの中の人格として生きている…事になっているのだが、実際に息子が発する言葉は、妻自身が入力した言葉が発せられているに過ぎない(舞台下手奥にPCがあり、妻はそこから「息子の言葉」を入力する)。そんな一家と、批判する世間の人々を、マスコミやSNSの人々として描く物語。
2022年初演のドイツ戯曲の翻訳とのこと。描かれていること自体は難しくないのだが、意図をくみ取るのはかなり難解な戯曲なのではないかと思う。夫婦…特に妻の側が息子を「生きているもの」として扱っている狂気。息子を「生きている」と主張して何とか学校に入れようとする妻。完全に狂っているというよりは、日常の中に狂気が完全に浸透し切ってしまっている感覚。夫は妻を愛しているから妻の「妄想」につきあっている。でも、タブレットとして存在する息子と一緒に「遊べ」と言われても気乗りするはずない。妻との会話のちょっとした言葉で、息子が「死んでいる」前提として扱っている事が透けて見えてしまい妻になじられる夫。それでも愛しているから、その「茶番に」付き合う。付き合うけれど、トイレで隠れて一人泣いている夫。…ごく普通の生活の描写なのに、うっすら背筋が寒くなる。
あれ?、この様子以前経験したことがあるぞ…という感覚を持った私。細かいことは書けないけれど、私自身この世に産まれる事が叶わなかった息子が二人ほどいる。息子を看取った直後の妻の様子はこんな感じだったなぁ。…歯切れが悪い書き方になってしまうけれど、とても既視感のある光景に戦慄。夫がトイレで一人泣いているシーンがあるのだが痛いほど心情が分かる(しかも同劇団名物のムービングっぽい動きなのがなんとも憎い)。アフタートークで奥村洋治が「いつもは演じているとどんどん楽しなるのに、この役は辛くなるばっかりで。ある日、この役は演じれば演じるほど辛くなるので正しいんだ、と気付いた」と語っていたが、なんだかその「辛さが増してくる」感覚まで、自分が以前経験した事そのものだった気がする。
夫婦の苦悩は苦しい感覚だけれど理解できた。それに加えて、SNSでその事を中傷する人々…というのが出てくるのだが、夫婦の作り出した幻想の話と、SNSで誹謗中傷される世界…というのがどうもうまく繋がってこない。やはりアフタートークで出てきた会話「一神教の社会では、死者をタブレットに見立てる行為自体がタブーで、この戯曲そのものがタブー。日本の感覚とは少し違う。」みたいな話があった。アーなるほどそういう倫理観的な部分に触れているのか…というのは、言われればそうなのかなという気もする。あるいは別の視点だと、途中、映画「ムカデ男」の話や、タイトルの仙人草の話が出てくる。その話だけ単体で考えれば「なるほど」と思う。思うものの、前述の夫婦の話とつなげると、ハテナ?、となってしまう。私自身最近はSNSから距離を置くようになっていて…要はSNSの怖さを自覚しつつある状況の中、その「怖さ」みたいなものとはちょっとズレた感覚で。ふたつの関連がイマイチ見いだせなかった、というのが正直なところだった。







































