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【観劇レポ】株式会社テッコウショ「あるいは眞ん中に座るのが俺 2025」

#芝居,#株式会社テッコウショ,#東京マハロ

【ネタバレ分離】 株式会社テッコウショ「あるいは眞ん中に座るのが俺 2025」の観劇メモです。

初回投稿:2025年12月20日 13時55分
最終更新:2025年12月20日 13時55分

公演前情報

公演・観劇データ

項目データ
団体名株式会社テッコウショ
東京マハロリバイバル公演 by テッコウショ 第5弾
あるいは眞ん中に座るのが俺 2025
脚本矢島弘一(東京マハロ)
演出矢島弘一(東京マハロ)
日時場所2025/12/17(水)~2025/12/25(木)
赤坂RED/THEATER(東京都)

CoRich 公演URL

団体の紹介

劇団ホームページにはこんな紹介があります。

ハウススタジオ・演劇稽古場運営から舞台興行・作品制作まで

株式会社テッコウショ

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

誰かが言い出した、、、「俺真ん中に座りたい」

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

項目データ
観劇日時2025年12月19日
14時00分〜
上演時間115分(途中休憩なし)
価格6500円 全席自由

満足度

★★★★★
★★★★★

(4/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。

感想(ネタバレあり)

株式会社テッコウショ「あるいは眞ん中に座るのが俺 2025」

舞台に展開されるのは、レオナルド・ダ・ヴィンチ作の壁画「最後の晩餐」。この絵画の中で一体どのような事が展開されていたのか…つまりは、イエス・キリストが処刑される前日、晩餐に至るまでどのようなことが展開されていたのかを、絵画をなぞるようにして描く。イエスが処刑された後、残された弟子達はどのように生きていくのか…を会話するなかで、有名なユダの裏切り、次は俺がイエスにとって代わりたい…といった欲望が描かれる。キリスト教の荘厳な雰囲気というよりはむしろ、関西弁なども混ざりつつコメディタッチに進む物語。

東京マハロの過去の作品を、企画会社の株式会社テッコウショが上演している形の様子。東京マハロの公演は観たいと思っているもののいつもスケジュールが合わずで、団体初見。

イエス亡き後のこされた中で誰がリーダーになるのかをめぐる弟子たちの会話劇。内容的にはとても重い会話なのだが、演劇の創り上げる虚構としての嘘が意図的に「軽く」コメディテイストに描いているのが印象的。キリスト教は今でこそ世界三大宗教のひとつだが、この絵画が書かれた時代には単なる「新興宗教」だったのかもしれない(ま、今の時代に例えるならば、の話だが)。典型的なお山の大将で思いつきで発言し、コンプラ的にヤバそうなイエス・キリストを見ていると(ま、この時代にコンプラっていうのも変な話だが笑)、実はこの絵に対する一般的な荘厳な想像というのがちょっとオーバーなものなのではないか…みたいなことに気が付かされる。

全体としてはコメディタッチなものの、展開する悩み自体はシリアス。キリスト教に限らず、ある団体のトップがいなくなる時、そのアトガマに座りたいと願うものはどのような心理になるのか。その縮図のようなものを、12+1人の弟子達と、何故が出てくるマリアとの間に見る。ユダの裏切りの話は有名だが、タイトルの「あるいは眞ん中に座るのが俺」の通り各人が「あるいは、ひょっとしたら俺」と思っていたりする。組織を描いた作品としてその点はとても面白かった。

ただ、コメディとシリアスと、全体のバランスが良かったのか…と問われるとちよっと疑問。後半イエス・キリストが出てくるあたりで面白くなってきたものの、それ以前は割と単調で、「笑い過ぎた」みたいな事前の感想をいくつか読んだのだけれど、コメディチックな部分もすごく笑ったのか…というとそうでもなく、「絵画の立体化」を意図した舞台セットだという事もありどうしても平面的に展開する舞台に、ちょっと眠気が強い場面も多かった。むしろ作品全体をもっとコント寄りにしてもいい気もするし、あるいはキリストのパワハラ具合と、マリアの意味分からないほどの勝気さがが面白いので、もうその部分があれば残りはすべてシリアスでも良い気もする。面白かったけれど、バランスがイマイチだよなぁ…と思い。

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