<観劇レポート>キ上の空論「朱の人」
【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 キ上の空論「朱の人」の観劇レポートです。
もくじ
公演前情報
公演・観劇データ
項目 | データ |
---|---|
団体名 | キ上の空論 |
回 | #15 |
題 | 朱の人 |
脚本 | 中島庸介(キ上の空論) |
演出 | 中島庸介(キ上の空論) |
日時場所 | 2022/04/13(水)~2022/04/17(日) 本多劇場(東京都) |
団体の紹介
CoRichにはこのような記載がありました。
キ上の空論とは、
2013年12月旗揚。 リジッター企画 中島庸介の別ユニット。 言葉遊びや、韻踏み、擬音の羅列や呼吸の強弱など、会話から不意に生まれる特有のリズム『音楽的言語(造語)』を手法に、ありそうでない『日常』をつづる。
・・・HP製作中。
過去の観劇
- 2024年03月28日【観劇メモ】キ上の空論 「けもののおとこ」
- 2023年07月12日キ上の空論「幾度の群青に溺れ」
- 2023年04月13日キ上の空論 「けむりの肌に」
- 2021年02月09日オフィス上の空 /キ上の空論「ピーチオンザビーチノーエスケープ」
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
おしゃべりだった兄の話をしようと思って、
兄は1999 年の夏に、はじめてセックスしたらしくって、それは全然好きな女じゃなかったらしいんだけど、見栄を張る為だけに、その、“いたした”らしくって。見栄が兄のだいたい全部だったので・・・そう、それで、中学2年生の兄は底抜けに明るい男で、制服のズボンをケツまで落として、父のマルボロをくわえて、それは僕からしたら『無敵』だった。あの時は本当に、兄は世界の中心だったと思うんです。
それで、兄が高校1年生の時、ええ、演劇に出会ったのが、兄の不幸の始まりでした。先に言っておくと、兄はこの先、壊れます。
それで、あともう一つ言っておきますと、これは「演劇」の話ではなくて、まずそれは違くて、まずこれは、「兄」という「人間」の話で。壊れていく「兄」と、滅んだ「僕」と。あと、兄に関わった、兄を愛したり、憎んだりした「周りの人達」の。
まぁ別に大した話じゃありません。
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
項目 | データ |
---|---|
観劇日時 | 2022年04月14日 19時00分〜 |
上演時間 | 125分(途中休憩なし) |
価格 | 6700円 全席指定 |
チケット購入方法
カンフェティでチケットを購入しました。
客層・客席の様子
男女比は3:7くらいで若干女性が目立つ。
年齢は、女性は様々。男性は、40upが目立ちました。
観劇初心者の方へ
観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。
・シリアス
・会話劇
・考えさせる
観た直後のtweet
キ上の空論「朱の人」125分休無
カテコトリプル。演劇の観客として、痛い。決して見たくないものを見た。そうなんだろうと知ってて、目を背けてた。知らんプリしてた訳でもないけど無いことにしてた。それを、目の前にガツンと突きつけられて嫌だった。それでも観る以外の方法があるのか?超オススメ! pic.twitter.com/DQHuah2HtU— てっくぱぱ (@from_techpapa) April 14, 2022
満足度
(5/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
キ上の空論は、昨年観た「ピーチオンザビーチノーエスケープ」に続いて2作目。ストーリーの冒頭は、事前記載の通り。兄は、この後兄は劇団を作り、演劇を極めようとする。お金の問題や、他者への嫉妬の中で、徐々に狂っていくお話。
演劇を通して、表現をつくる時の人のどうしようもなさ。そして、観客が表現の中に何かを求めてしまう事のどうしようもなさを、暗部から光をあてて描いたような作品に思えた。
演劇を「観る」立場の観客として、観ていてとても、痛くて仕方なかったが、受け取る側によって大きく感想が変わる作品だとも思う。演劇にそれ程親しみの無い人であれば、演劇を創るって大変なんだなぁ、という個別の事例に映るかもしれないし。あるいは演劇を「創る」側にいる人であれば、余りに身を斬られるような内容に映るかもしれない。
私自身は当然、観る立場、観客の視点で物語を捉えるとすると。
劇中、主人公が主宰する劇団の渾身の作の公演中に、東日本大震災が襲う。震災をどこか「劇的」であるように描かれる。その後しばらくして劇団は、震災をテーマに組み込んだ劇を上演するが、それが「客の心を動かせば、テーマは何でもいいのか」という反論を呼ぶ。「震災は大変だった。がんばろう日本」的な演劇にも、そこに傷つく人が必ずいるし、それは一種の「感動を呼び起こすための題材のひとつ」でしかない。
客は感動したがっている。それが、何に由来したかなんて、実はそれほど気にしていないし、気にしたところですべてが分かる訳でもない。話し好きだった兄が、劇団の女優にパワハラをして、自分の弟と元彼女の死をネタにしたとしても、それを知り様もない。その期待に応えようとして、あるいは応えたいと望んで、主人公はどんどんと狂っていく。
客はプレッシャーの存在を、どこか心の底で気が付いているのかもしれない。それでも感動したくて、その存在に…創り手の苦悩に、お金という対価を払う事で、目を背けようとしているのかもしれない。…その実際の裏側を、つまびらかに見せつけてくる、嫌な部分をえぐり出すような作品だった。
「まぁ別に大した話じゃありません。」というストーリーの通り、その苦悩はスポットライトを浴びることは稀だ。観客は、そんな「内側の苦悩」なんて、望んでいないから。私自身は、観ていて、一度も涙する事は出来なかった。泣くことがとても偽善に思えたからだ。ひょっとしたら誰かが狂っているのかもしれない。それでも、「大した話じゃない」と弁解しながら、これからも演劇を観続けて「消費」するのかもしれない。その自分の行動を思うと、とても涙なんてでない。むしろ「消費」する事を求めている自分自身の強欲さと、対峙するしかなかった。
圧倒されて、役名を記憶できてない。テツキを演じた、村田充、藤原祐規、が、どちらもとても印象的。久下恭平の狂言回し的な弟も印象的。