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<映画レポート>「フェアウェル」

#映画

【ネタバレ分離】昨日観た映画、「フェアウェル」の鑑賞レポートです。

映画基本情報

キャスト

ビリー:オークワフィナ/ハイヤン:ツィ・マー/ルー・ジアン:ダイアナ・リン/ナイナイ:チャオ・シュウチェン/アイコ:水原碧衣/ルー・ホン

スタッフ

監督: ルル・ワン /脚本:ルル・ワン/撮影:アンナ・フランケスカ・ソラーノ/美術:ヨン・オク・リー/衣装:アテナ・ワン/編集:マシュー・フリードマン,マイケル・テイラー/音楽:アレックス・ウェストン/音楽監修:スーザン・ジェイコブス,ディラン・ニーリー

2019年製作/100分/G/アメリカ/原題:The Farewell
配給:ショウゲート

公式サイト(公開後、一定期間でリンク切れの可能性あり)

フェアウェル

映画.comリンク

解説

中国で生まれアメリカで育ったルル・ワン監督が自身の体験に基づき描いた物語で、祖国を離れて海外で暮らしていた親戚一同が、余命わずかな祖母のために帰郷し、それぞれが祖母のためを思い、時にぶつかり、励まし合うながら過ごす日々を描いたハートウォーミングドラマ。ニューヨークに暮らすビリーは、中国にいる祖母が末期がんで余命数週間と知らされる。この事態に、アメリカや日本など世界各国で暮らしていた家族が帰郷し、親戚一同が久しぶりに顔をそろえる。アメリカ育ちのビリーは、大好きなおばあちゃんが残り少ない人生を後悔なく過ごせるよう、病状を本人に打ち明けるべきだと主張するが、中国に住む大叔母がビリーの意見に反対する。中国では助からない病は本人に告げないという伝統があり、ほかの親戚も大叔母に賛同。ビリーと意見が分かれてしまうが……。「オーシャンズ8」「クレイジー・リッチ!」のオークワフィナが祖母思いの孫娘ビリーを演じる。

あらすじ

NYに暮らすビリーと家族は、ガンで余命3ヶ月と宣告された祖母ナイナイに最後に会うために中国へ帰郷する。家族は、病のことを本人に悟られないように、集まる口実として、いとこの結婚式をでっちあげる。ちゃんと真実を伝えるべきだと訴えるビリーと、悲しませたくないと反対する家族。葛藤の中で過ごす数日間、うまくいかない人生に悩んでいたビリーは、逆にナイナイから生きる力を受け取っていく。
思いつめたビリーは、母に中国に残ってナイナイの世話をしたいと相談するが、「誰も喜ばないわ」と止められる。様々な感情が爆発したビリーは、幼い頃、ナイナイと離れて知らない土地へ渡り、いかに寂しく不安だったかを涙ながらに母に訴えるのだった。
家族でぶつかったり、慰め合ったりしながら、とうとう結婚式の日を迎える。果たして、一世一代の嘘がばれることなく、無事に式を終えることはできるのか?だが、いくつものハプニングがまだ、彼らを待ち受けていた──。
帰国の朝、彼女たちが選んだ答えとは?

満足度

★★★★★
★★★★★

(4/5.0点満点)

鑑賞直後のtweet

ここから先はネタバレあり。注意してください。

感想(ネタバレあり)

ストーリー紹介の通り、ナイナイのために偽の結婚式を無事やり遂げるお話。映画のタイプとしては、少し珍しいものかもしれない。映画のはじまりとと終わりで、登場する人々が、大きな変化をしていない。ただただ、1つの結婚式をやり遂げる過程を描いている事。もちろん、主人公ビリーには、もう一度自分の学芸員としての人生に挑むための、前向きな変化が産まれた時間を描いているのかもしれない。でも、基本は何も変わっていない。ここまで、何も変わらない、写実的な映画というのは、私にとっては珍しいかったもしれない。

その過程で描かれているのは、「嘘をつくことが、最良の場合もある」という、文化的な背景をもった一つの考え方。アメリカ人を中心とした西洋の文化圏の観客を意識して、映画は観客に呼びかけていく。結婚式の準備の過程、ビリーや親族たちは、ナイナイに本当のことを言うべきかどうかで、何度もゆらぐ。親族は皆、アメリカや日本で生活している、いわば既に中国本土の人間ではない。その親族たちが、故郷中国に帰郷し、今生活している場所の価値観と、中国の価値観との間で揺らぐ過程を描くことで、「良い嘘、という文化は、悪ではない」という事を、何度も何度も、観客に対して説得しているように見えてくる。

途中、ナイナイが結婚式の前日に体調を崩して診察を受けた時、「アメリカだったら、本人に病名を言わないのは、犯罪だ」と、親族の間で相談する下りが出てくる。それに対して、「西洋の思想では、個人の体は個人のものだ。でも東洋では、中国では、体は社会のものであり、家族のものだ」という話を、まるで自分たちに言い聞かせるように話す場面も出てくる。個人主義の西洋、あるいはアメリカでは、本人の人生の決定は、本人の意思に基づくべきだという考え方・・・いわゆる個人主義に深く根差しているが、その価値観とは別のモノの見方がある事と、その価値観への理解を、映画を見ている側に何度も迫ってくる。

そんな表現だったので、ナイナイの死よりも、「この映画を、西洋圏の人が見たらどう思うのだろうか?」という事に、思いを馳せ続ける事を観客に強制してくる。映画のストーリーを追いながら、映画とは別のところに意識を置いて見ていたのが、不思議だった。主人公のビリー、6歳で中国を離れて30歳までアメリカで過ごした孫は、その説得の対象として、いわば観客の代表としての、存在であったように思った。

中途半端に西洋化している日本。その日本人の自分からみると、西洋・東洋、どちらの価値観もある程度理解出来るのかもしれない。病名を本人に告知しない、というのは、一昔前の日本では、当たり前にあったように思うし、今でもそういうケースはあるかもしれない、とさえ思う。その意味で、説得される側というより、両者の間に入り込んで、どちらの事情も分かる、という、仲介役のような見方をしていたのかもしれない。世界的に評価されている作品のようだが、実は見る民族や文化的な背景によって、大きく見え方が異なってくる作品かもしれない。

当然ながら、西洋と東洋の価値観の違いは、ガンを告知しない事、だけに限らない。他にも、価値観の違いからくるすれ違いや、対立は、当然あるはずだ。アメリカの社会には、今や中国人の勢力は、無くてはならないものになっていると聞く。西洋と東洋のはざまで、それぞれが、直感的には理解できない事が、日々たくさん発生しているのだろうと思う。また、中国人もアメリカに住めば、西洋の価値観に染まる部分も出てくる。ビリーの父は正に、二つの文化のはざまで、悩んでいるように見えた。その渦中で、何を考え、何を葛藤したのか。その事を、ナイナイをだます結婚式を通して、静かに描写し、指摘しているのではないか。そんな事を考えさせられる映画だった。


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