<観劇レポート>ワンツーワークス「アプロプリエイト―ラファイエット家の父の残像―」

#芝居,#ワンツーワークス

【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 ワンツーワークス「アプロプリエイト―ラファイエット家の父の残像―」の観劇レポートです。

公演前情報

公演・観劇データ

項目データ
団体名ワンツーワークス
ワンツーワークス#37
アプロプリエイト―ラファイエット家の父の残像―
脚本ブランデン・ジェイコブズ-ジェンキンス
演出古城十忍
日時場所2023/02/16(木)~2023/02/26(日)
赤坂RED/THEATER(東京都)

CoRich 公演URL

団体の紹介

劇団ホームページにはこんな紹介があります。

『ワンツーワークス』は、古城十忍(こじょう・としのぶ)が主宰する劇団です。
こじょう・としのぶ/劇作家・演出家。「ワンツーワークス」主宰。宮崎県出身。
熊本日日新聞政治経済部記者を経て1986年、劇団一跡二跳を旗揚げ。
少年犯罪、不妊治療、在日差別、復讐の連鎖など、さまざまな社会問題をジャーナリスティックな視点から描いた作品を数多く発表。
2008年7月、『流れる庭-あるいは方舟-』の上演をもって一跡二跳を解散。
2009年、フレキシブルな演劇創造集団として「ワンツーワークス」を始動。
これまでの主な代表作に、『眠れる森の死体』『少女と老女のポルカ』『平面になる』『アジアン・エイリアン』『肉体改造クラブ・女子高校生版』『奇妙旅行』などがある。
2005年に文化庁新進芸術家派遣でロンドンおよびダンディ(スコットランド)に留学。
帰国後は実際のインタビューに基づいて「ドキュメンタリー・シアター」の上演にも精力的で、2007年には「自殺」をテーマにした日本初のオリジナル・ドキュメンタリー・シアター『誰も見たことのない場所』を発表している。
また、広島・鳥取・宮崎など、地方演劇人との交流にも力を注ぐ。
現在、(社)日本劇団協議会常務理事、新国立劇場演劇研修所講師。

ワンツーワークス

過去の観劇

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

息もできないほどの、壮絶な罵倒合戦。
人間の本質をあぶり出す、「痛切すぎる家族劇」

時は、2011年頃。
場所は、アメリカ南部アーカンソー州の、元・大農園だった家のリビングルーム。
この家に、亡くなった父の財産分与をすべく3姉弟が久々に顔を合わせる。
原題の「APPROPRIATE」には「適切な/処分する/割り当てる/着服する」といった意味があるが、3姉弟は財産を適切に分けようとするものの、いちいち意見が対立してばかりで分与はいっこうに進まず、それぞれの身勝手な人格ばかりが明るみに出る。
その上、遺品の中から誰も知らなかった「あまりにも、あまりにも不適切なあるモノ」が発見され、事態はさらに、急速に悪化……。かくして、亡くなった父の人格についても見解の相違は溝を深め、やがて3姉弟とその家族は、かつてない壮絶な罵り合い、手に負えない肉弾戦へと突き進んでいく……。

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

項目データ
観劇日時2023年2月17日
18時00分〜
上演時間165分(途中休憩10分) 60分-休10分-95分
価格4800円 全席指定

チケット購入方法

カンフェティで購入・決済しました。

客層・客席の様子

男女比は5:5くらい。
若い人と、50代upのシニア層との二極化している感じでした。

観劇初心者の方へ

一部、グロテスクな表現が登場します。

芝居を表すキーワード
・シリアス
・会話劇
・考えさせる

観た直後のtweet

満足度

★★★★★
★★★★★

(5/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
ここから先はネタバレあり。
注意してください。

感想(ネタバレあり)

スマホがある現代での出来事。アメリカ南部。農園主だった父が死んで半年。遺品整理に、実家に集まった、姉弟。妹はままならない人生と、どこか引きこもりがちっぽい息子の事でイライラ。弟は、どうやら仕事が上手くいっていないようだ。そこに、行方不明だったもう一人の弟が、よく分からん婚約者を連れてひょっこり帰ってくる。亡くなった父かららすると孫・・・も交えての人間模様と、徐々に明らかになっていく父の過去。1つの家族の、父の背景をめぐる過去への記憶のさかのぼりと、そこから出てくる「感情のぶつけ合い」物語。。。と、かなり強引にまとめるとこうなる。

観終わった後、思わず拍手そっちのけで、客席でのけぞってた。ガチンコ肉弾戦会話劇として楽しめる作品だけれど、「多層」に変なものが積み重なって来たなぁ、という風に思った。自分の中に堆積した層を、一つ一つめくっていってみると。

一つ目。物語の紹介にもある通り、感情の肉弾戦。一幕が60分なのに、関谷美香子演じる姉のトニと、奥村洋治演じる姉弟の、激しいのの知り合い。そこに、小山萌子演じる「ユダヤ系」への侮辱も加わって。とにかくも傍で観ていてドッと疲れるガチ罵りあい。一幕だけでお腹いっぱいだけれど、結局罵りあい路線は基本は劇中最後まで続き、二幕後半では、殴り合いの喧嘩。すごく引いた目線で言うと、「あー家族って、こじれるとここまで感情むき出しになるよなぁ」という感覚。もちろん、どんな人でも、ある種の共感が湧いてくることだから、物語のベースラインとしてその表現の凄さがある。Twitterを検索していると、この手の感想がとても目立ったなぁ、と思う。

二つ目。そこに折り重なって、当日パンフレットのあいさつに古城十忍が書いているような、ある一つの家族の「風化」の物語(あるいは、劇団から送られてきたDMの「お触れ書き」にもそんな文章が乗っていたが)。KKK含め、父がどんな人間だったのかおぼろげに分かってくる。それでも、姉弟の生々しい肉弾戦の後、そんな事でさえ、容赦なく風化していく。ラスト、それまで全く微動だにしなかったような舞台セットが、明転を繰り返すたびに崩壊していく。あれほど生々しかった罵りの感情が、嘘のようにスキマ風にさらわれていく。むしろ、大人になるっていう事・・・自立するっていう事は、風化する・・・要は忘れる事で成り立っているとさえ思うように、風化していく。その事自体は、ある程度年齢を重ねていれば分かる事だけれど。具体的な風化の様を、舞台の現実の空間として、アリアリと見せつけられた事と。

三つ目。私にはこの劇を観た時に、どうにも「怖い」という印象が強く残った。物語上明示的な結論はないものの、父がKKKであり、農園で働かせていた黒人たちに何をしたかは、きっと想像の通りなのだろう。その「罪」とか「業」とか、あるいは「遺伝」とか「環境的作用」みたいなものが、ここで沸き起こる感情の肉弾戦の出来事の「源流」になって見えることが、チラチラと透けて見えるのが、怖い。

トニの差別主義。フランツの幼児性愛の話。リースがオナニーするシーン(あれは正確に何を「オカズ」にしているのか・・・とか考える)。それが、背後に下がる父の肖像画と、どう関連し、どう無関係なのか。そんな事を考え出す。・・・いや、何の関係もない、と言うのが、スマホ時代に生きる我々の良識だと思うものの。この2時間強のやり取りをみていると、「関係ない」と言い切れるわけもない。そんな当たり前の事に気付かされる。

その「何かの源流」は、舞台セットの崩壊と共に、家族の記憶がが風化すればするほど、残った「何か」だけが顕著に見えるようになっる。それが、父の遺品整理の中で、眠りから覚めた魔物のように鎌首をもたげてくる。・・・父がKKKで、黒人のペニスの標本を持っていた(KKKでは、そういう風習があったらしい)・・・なんていう表面的な事実の怖さよりも、もっともっと深いところにある怖いものを見せつけられた。そんな感覚だった。

きっと、根源的な感情まで降りていくと、キリスト教的には「罪」。日本の仏教感だと「業」とかいう概念、なのかもしれない。・・・まぁどんな物語も、この感覚から逃れられる訳では無いのだけれど。南部のアメリカっていう、とてつもなく想像しにくい場所なのに、感情がものすごく身近に感じられたのが、不思議で仕方なかった。

本作の作者、ブランデン・ジェイコブズ-ジェンキンス、っていう作家の作品は初めて観た。ワンツーワークスは、過去、同作家の「グロリア」という作品をやっているようだけれど、私は観ていない。前述の「お触れ書き」に古城十忍が書いているように、写真の笑顔とは裏腹にめっちゃヤな奴だと思う(笑)。けど、この作家の作品、もっと観てみたいなぁと思った。

観たのは、アフターイベントとして恒例の「公開ダメ出し」実施の回。今回は、本編があまりにも激しくて、ちょっとお腹いっぱい状態で苦しいけれど、頑張って観た。翻訳劇であるが故に、セリフをそのまま訳してしまうと、音として意味が取りにくい台詞が出てしまう。例えば「蝉がうるさいのよ」と言ってしまうと、「蝉」という大事なワードが、文頭なので聞き取れない可能性が高い。なので「うるさいのよ、蝉が」と変更する。英語の原文だと、おそらく「蝉」という言葉が最後に来るので、ニュアンスとしてそちらが近い。「うるさいのよ」を聞き取れなくても、状況から意味が分かるし、客に「蝉が」を聞かせることで、「蝉」を意識させることができる。・・・あえて語順を逆にする修正を、その場で出演者に指示して、演者側も納得しているのが、面白いと思う。何か、名前を付けていた(テンフレ?とか言ってた気がする)が、聞き取れなかったけれど。

それと、ワンツーワークス名物、舞台転換を独特の音楽とリズムでみせる「ムーブメント」を、あの大乱闘のシーンで使うとは驚き。今回は古城作品じゃないし、さすがにムーブメントはないよなぁ、と思ったら、ラストの大乱闘で出てきて、思わず笑ってしまう。作品とはちょっと外の枠で、すげー表現だなぁ、と思う。

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