【ネタバレ分離】 劇団zzZ°「『フランドン中学校2年3組豚がいた教室』」の観劇メモです。


もくじ
初回投稿:2026年06月13日 23時57分
最終更新:2026年06月13日 23時56分
公演前情報
公演・観劇データ
| 項目 | データ |
|---|---|
| 団体名 | 劇団zzZ° |
| 回 | 劇団zzZ°第9回公演 |
| 題 | 『フランドン中学校2年3組豚がいた教室』 |
| 脚本 | 佐藤陽 |
| 演出 | 佐藤陽 |
| 日時場所 | 2026/06/12(金)~2026/06/14(日) 中板橋新生館スタジオ(東京都) |
団体の紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
劇団zzZ°ってどんな団体?
自己紹介が遅れました。当団体の主宰を務めております、佐藤陽(サトウハル)と申します。
この劇団は僕が高校一年の時に劇作を学び、「書いた脚本を発表する場所が欲しい」という衝動のもと、いろんな反対を押し切って勢いで立ち上げました。当時は僕と幼馴染、それと演劇ワークショップで知り合った同年代の友人を客演として集めて上演していました。
それから年数を重ねていくうちに皆、それぞれの道に進み団員は僕一人に。そこに新たに制作と音響の二人を招いて今に至る感じです。作品の傾向と致しましては「若者のモヤモヤを社会と繋ぐ」を合言葉に『LGBTQ』や『選挙』、直近ですと『AI』を題材にした、いわゆる『社会派』に属するものになっています。
ただ、社会派といっても「社会批判」や「警鐘」ではなく、「目まぐるしく変わっていく社会の中でどうやって生きていくか」が一貫したテーマとなっているため、僕個人としては社会派にも満たない等身大の叫び『準社会派』というものを名乗りたいと思っています。また大きな特徴としましては、超口語劇や音楽に乗せた身体操作などの抽象劇的表現を、最近ではアクションなんかも取り入れたりと、ジャンルに囚われない描写が多いです。
作劇するにあたって、稽古の最初はディスカッションやワークを必ず行うのも特異な点かと思います。
チームビルディングやテーマの深掘りなど目的はその時々によって必要な要素によって見極め、それにあったワークやディスカッションテーマを事前に用意して進行します。
これは公演ごとにどんな内容のものを行ったかまとめようと思うので今後の楽しみにして頂けたらなと思います。
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
あらすじ|
今より少しだけヴィーガニズム運動が盛んになった未来の話。
全国の中学校で『命の授業』が実験的に取り入れられた。
そのうちの一校、フランドン中学校では一匹の豚の命をめぐる『命の授業』での話し合いが一向に進まないでいた。
ヴィーガン家庭の女の子生徒たちと肉をとにかく食べたい男子生徒たちの対立がエスカレートしていく中でただ一人、肉を食べたことのない貧しい少年だけが真面目に豚の世話をしていた。佐藤陽(作・演出)コメント|
『対話』というものが難しい時代となりました。個々の生活や思想が尊重される時代、それは『対話』の困難さを表しているように思えます。 『ヴィーガニズム』という単語には必ず『勝手にやってろ』というセリフが付いて回ります。私もこの公演を行うにあたって自分でもプラントベースの生活を試みましたが、大手を振って推奨できるものではありませんでした。
一概に解決できない問題が多々あります。しかしその試みを『勝手にやる』だけでは、ただ『分断』を促すだけで、進歩には至らないというのも事実です。 だから私は結論を出すための議論ではなく、多くをつなげるためのドラマを『教室』という場所で起こすことにしました。
教室は社会の小さな縮図であると同時に、組織の中で明確な対立が許される唯一の場所だと考えます。 稚拙でも感情的でも、その答えに至るまでの過程で生まれるドラマを、あなたの中にある等身大の熱量を抱えたまま観ていただけたらなと思います。
劇団zzZ°とは|
2001年生まれの4名によるスタッフ集団。
現在の劇団員は佐藤陽(主宰・脚本・演出)・のりのり(制作・デザイン)・滝コージロー(音響・音楽)・菅原茉利奈(広報)。目まぐるしく変わる社会情勢の中で『どう生きていくか』を、シニカルかつストレートな表現を用いて描いていく。
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
| 項目 | データ |
|---|---|
| 観劇日時 | 2026年06月13日 19時30分〜$$ |
| 上演時間 | 分(途中休憩なし) |
| 価格 | 3500円 全席自由 |
$$写真$$
満足度
(4/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
『フランドン中学校2年3組豚がいた教室』
物語は団体紹介の通り…大谷翔平にも孫がいるらしい…ちょっと近未来の設定。ブタを教室で飼って、最後に食べるかどうか決める授業が展開されている時代に。様々な生徒達の事情による対立と「いのちを食べる事は本当に道徳的に許されるのか」という事を問う物語。
団体初見。タイトルが気になり、ストーリーを読んで観劇を決めた。「誠実な」物語だなぁというのが観終わって最初に出てきた言葉。日々、人間以外の命を食べて生きている我々。その行為を「不道徳」だと認めた時、どんなことが巻き起こるのかを学校の教室で議論させる。例えば登場するのは…生まれた時からビーガンとして育てられているので植物性のタンパク質だけで生きていけることを実証しているような生徒だったり、それに触発されて無理してビーガンになろうとする子、児童保護施設?で生活していて恵まれていないので豚を食べたいけれど…豚の世話好きな子だったり、植物と動物の命に何の差があるのかと主張する子…などなど。「いのちの授業」で豚を隣に議論する中で、いのちを食べることについての価値観の違いを多面的に炙り出していく。
観客の誰しもが一度は思い至ったことがある問題なのではないかな…と想像するので、それぞれの立場で議論を見守れるし、ある種ハッとする気付きみたいなのもあるかも知れない。特定の主張に傾倒するというより、そこにあるある種の道徳的な問題を余すこと路なく炙り出すという意味で、とても「誠実な」描き方をしている作品だよなぁと感じる。
私自身に関していうと…自分自身含めて人間は食物連鎖の中の頂点にいて、それは人間的な価値観の中で言うと罪深く、宗教的に言えば修羅の世界に落ちるものでしかない…という、ある種の「諦め」にも近い境地にいるので、議論を聞いてもどこか懐かしい感覚しか覚えないのだけれど…真剣に悩めば悩むほど、あまり心地良くは無いものの、何の答えにも辿り着けないよなぁと言うことを改めて再確認させられる。
加えて作者の挨拶文の通り、それら価値観の違いどうしの「対話」が、情報化社会の中では本当に難しくなっているよな…という事にも共感する。物語のラスト、何となく皆んなで「合意」したような雰囲気になるものの…あれは合意でも何でもなくて、単に「分かり合えないことが分かった中での、物申すことができる人々だけが共感できる"Better"な選択」でしかないのだよなぁ。納得した感がむしろ納得できない結論の中、そんな強者の論理も頭をよぎる。
既に悩んだことがある問題。答えがなくて、宗教的な修羅の中にいる自分。その自分自身に何か新しい価値観みたいなものをもたらしてくれるかもしれない…みたいなことを、…ストーリをたまたま目にした時にどこか期待してしまった自分がいる。残念ながらそこまでの物語ではなく、私自身もたどってきた光景を、学校を中心とした社会に再現されるに留まっていた。…このジレンマに回答なんてそもそも無いのかもしれないけれど、物語の結末がある程度予想通りだっただけに、どこか連立方程式をスマートに解く解法を、こういった演劇には求めている自分がいるよなぁ…みたいな事も頭をよぎった。

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