【ネタバレ分離】 俺は見た「他人と一緒に住むという事」の観劇メモです。


もくじ
初回投稿:2026年07月24日 8時30分
最終更新:2026年07月24日 8時30分
公演前情報
公演・観劇データ
| 項目 | データ |
|---|---|
| 団体名 | 俺は見た |
| 回 | 第八回 |
| 題 | 他人と一緒に住むという事 |
| 脚本 | 八木橋努 |
| 演出 | 八木橋努 |
| 日時場所 | 2026/07/23(木)~2026/07/30(木) サンモールスタジオ(東京都) |
団体の紹介
劇団ホームページにはこんな紹介があります。
『俺は見た』は、2013年4月。ギャラリールデコで第一回目を上演しました。
『俺は見た』は、八木橋 努の演出、台本で上演していきます。多様化する現代の日本社会において現実問題「調和」はほど遠く、むしろ分断が進んでいます。『俺は見た』は、多様化する集団社会で生きて行く中で感じる不自由さや恐怖、痛みを現代口語の対話劇で上演していきます。
過去の観劇
- 2025年07月17日 俺は見た「セックスと束縛と自由」
事前に分かるストーリーは?
こんな記載を見つけました
2015年に上演。その後映画化し、2023年に劇場公開した作品をキャストを一新して11年ぶりに再演する。
多様化が進み、他者理解が難しくなっている現代社会での孤独を描く。
自分の生き方を全うするのか。または寂しさゆえ、他者と生きることを選ぶのか。そして他者を理解できるのか。
どこにでもいる登場人物たちが持つ葛藤と欲望、そして不安を超現代口語対話劇で描くことで身近にある日常の再認識と将来の他者交流のあり方を問うために上演する。STORY
美容師 <理子> と鳴かず飛ばずの役者<剛>は、付き合い始めたばかりのカップル。
それぞれの自宅には、 幼なじみの男<信治> と無職の中年先輩<岩淵>が居候して
いた。理子と信治の関係を疑い始めると同時に、金をせびる岩淵に嫌気が差した剛は、
二人の男を追い出し、 リコとの同棲に踏みきる。
同じ頃、ソーラーパネルの販売代理業で潤沢な生活を手に入れた中年社長<大槻>は、 半年
前に再婚したばかりの<26歳年下の新妻>に手を焼いていた。 彼女のために購入した豪邸
当の本人が引っ越して来る気配が1ミリもない。
ネタバレしない程度の情報
観劇日時・上演時間・価格
| 項目 | データ |
|---|---|
| 観劇日時 | 2026年07月23日 19時00分〜 |
| 上演時間 | 130分(途中休憩なし) |
| 価格 | 4500円 前半割 全席自由 |
満足度
(5/5点満点)
CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
感想(ネタバレあり)
「他人と一緒に住むという事」
団体二度目。ストーリーは公開されているパンフレットに記載の通りだけれど「ストーリーがああなってこうなって」といのを書き下すことには、さほど意味は感じない。住むところに困っている人と、安定的に住むところを手に入れた人々の織りなす群像劇。団体が超現代口語対話劇と謳っている通り、演劇の台詞というよりむしろ日常会話のように、また時に同時発話的に展開される会話。劇中、エンドロールの字幕以外には音楽はなく、そしてカーテンコールもなく。とにかく会話だけて魅せていく演劇。
前作に続いて、あー凄いもの観たなぁという感覚で、団体名の「俺は見た」の通り、ある会話の場にたまたま居合わせて目撃した……市原悦子「家政婦は見た」の"あらやだ"的な感覚。なので、ストーリーを書き下すことより、感じた臨場感の重さを伝えたくなる。
「他人と一緒に住むという事」…多くの人は誰かと一緒に住んでいて。出てくる人々はそれぞれ「誰かと住んだり」「住みたかったり」「他人の家に転がりこんだり」する。その中で見えてくるのが…人間関係の強弱…とでも言うだろうか。強く言うなら「支配/被支配」あるいは「上下」の関係。軽く言うなら「マウントを取る/取られる」とでもいうのか。時には「マウント取られて安心したい欲望」的な願望さえも描く。
ともすると「人間関係は対等であるべきだ」みたいな綺麗事を信じている人からは、後ろ指さされそうな作品ではあるものの…そういった批判もサラリとかわしつつ、現実問題として存在する人間の性とでもいうのか、一種のパワーゲームが存在するという現実を、物語とは関係ない所でサラリと鳥瞰的に描いている作品に観えた。
印象的だった関係をメモ。理子と剛。典型的な支配欲と性欲の強い剛だけれど、後半、理子が大槻との関係を整理してく中で、むしろ理子にある種「支配」されているのが見えてくる。ラスト20分くらい、部屋で一人で泣き続けている剛が印象的。舞子と岩淵。SMの女王様で支配欲の強い舞子が、ひょんなことからギャンブル中毒の岩淵を支配することに。乾電池をお尻に入れるあたりが中々にハードだけれど、岩淵は舞子に支配されたいというより、誰かに支配されることで根無し草から脱して安定するタチで。後半、はしごを外された舞子がちょっと哀れではあるものの、何だか妙に納得してしまう感覚が面白い。順子と正美。この中で(多分)唯一1人暮らしの順子と、野心の大きい正美。岩淵とは異なる意味での「支配」的なものを求めている順子と、居候しているけれど誰にも支配されたくない正美がデキているっていうのが中々に皮肉。大槻と理子。物語の軸として描かれるこの二人は、震災直後の母の死をキッカケに歳の差結婚をするのだけれど同居していない、同居できない、という状況で。「他人と一緒に住むという事」というタイトルの劇中、一緒に「住まない」事の顛末が、物語全体を貫く形で描かれているのが中々に秀逸。
役者陣の演技が秀逸過ぎるが、特に「元NECにこういうおじさん、いるいるっ」な役回りの河野智典と、思わず「パンツ見えてますよ」と言いたくなってしまう(もちろん意図的な演出だと思うが)、SMの女王様役の橘さりが印象に残る。



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