時々自動「コンサート・リハーサル」

#芝居,#KAAT,#時々自動

【ネタバレ分離】
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どもっ\(´▽`*)。てっくぱぱです。昨日観た芝居の感想です。

公演前情報

公演・観劇データ

時々自動
『コンサート・リハーサル』
2019/02/28 (木) ~ 2019/03/03 (日) 神奈川芸術劇場・大スタジオ
構成・演出 朝比奈尚行

観劇した日時2019年2月28日 19時30分〜
価格円 全席自由/指定(事前にネット予約)
上演時間105分(途中休憩なし)
Corich満足度★★★☆☆(3/5点満点)

客席の様子・観劇初心者の方へ

割と年配層が多い気が。また、聞こえてくる会話から、普段は演劇ではなく音楽やダンスを楽しんでいる方が多いような気配を感じました。
残念ながら、観劇初心者にはお勧めできません。「前衛」というものを理解してみたい、触れてみたいという意思が必要に感じました。

時々自動?

劇団ホームページには、シンプルな紹介が載っていました。

時々自動は音楽パフォーマンスを製作、上演する劇団!です。

1988年から公演を続けている、老舗の劇団のようです。
時々自動

事前に分かるストーリーは?

ホームページにはこんな記載がありました。

「時々自動」を名乗る前衛劇団が企画したシアトリカル・コンサートの前日、最後のリハーサル現場で起こる不条理な出来事の数々。
時代の濁流を時々自動18人の仲間と筏で遡る奇才朝比奈尚行が、フェデリコ・フェリー二の『オーケストラ・リハーサル』に触発されて発案したソーシャリスティック・アヴァンガード・エンターテインメント。さまざまな未聞のアイデアで彩られた午睡の妙夢にも似た1時間40分です。千客万来!

との事です。三谷幸喜の作品にも通じるものがあるのかな、と思いました。

ここから先はネタバレあり。
注意してください。

感想(ネタバレあり)

えっと、まず。
予想とは全く異なり、三谷幸喜作品とは殆ど、相通じない。

パンフレットや劇団の下調べをもう少しすべきでしたが・・・意図せず「前衛演劇」の劇団。ジャンルとしては、twitterでの公演後のつぶやきをみていると「アバンギャルド(前衛)」と呼称している方が多いようだが、「アングラ」などと呼んでもいいのだと思う。

事前パンフのストーリーは「コンサートの前日、最後のリハーサル現場で起こる不条理な出来事の数々。」という事ですが、あまりストーリー性は強くなく。パフォーマンスとしては、ダンスと、演奏と、寸劇っぽいストーリーが続いていく。演出家が「ダカーポ」と叫ぶと「リハーサルのやり直し」をする事になる。同じ劇をもう一度する、という訳ではなく、やり直しでは、別のお話が展開。

演劇に「明確なストーリー性」を求めている私としては、正直なところ、好みの演劇、ではなかった。(そもそも、演劇ではないかもしれないが。)

ただ、退屈だったか・・・というとそうではなく、音楽やダンスのパフォーマンスは非常に面白い。音楽は打楽器や吹奏楽が中心。そして歌も。寸劇は、人形劇的なものから、かなりきわどいお色気物まで。全力で走ったり、飛び跳ねたり。105分、空間全体を使った型破りなパフォーマンスに、退屈はしなかった。

ストーリー性に関していえば、一点。古参の劇団員15名程度とは別に若いメンバーもいて、舞台中盤くらいまでは客席に座っている。客入りとほぼ同時に劇場に入ったのに、もうすでに人が座っているから、おかしいとは思ったが、中盤で全速力で舞台に走り出て、踊り出す。実はこの若いメンバーは、古参の劇団員一人一人を演じているという設定。テレビカメラがあり、劇場に映し出される映像。そのカメラに向かって、自己紹介をしているシーンは印象的。

終演後KAATの芸術監督の白井晃と、時々自動の構成・演出をしている朝比奈尚行とのアフタートーク。「現役の、時々自動」と「元、全自動」が話す、というのは、なかなか面白い構図。二人は、以前から親交があった模様。白井氏が、この分かり難い舞台を、スパッと切って解説してくれる事を期待していたのだが…終始、白石氏、非常に困ったような感じで話をされていたのが印象的。

「前衛というのは、すでに過去の演劇で、過去で止まってしまっている表現だと思っていたけれど、また波のように押し返してきている気がした」「自分が、世間的に『良い』といわれる演出や表現の枠に、いかに囚われている事に気が付いた」といった趣旨の話。時々自動の劇団員は、劇団とは別に仕事を持って働いているのが、団員の前提との事。白井が目指すのは、芝居で食う商業演劇。この二つの差に、何か思いを馳せて「困って」いたのかもしれない。あるいは、ご自身の表現との乖離に対して困った思いをされていたのかもしれないが、「困り」の理由については最後まで分からず。

私にとっては、このアフタートークを聞いたことで、自分の中で作品が昇華された感覚がある。ここまで純粋な「表現」をみていると、普段好んで見ている「芝居」はどこか「意味にまみれていて」「様式的」だという事に気が付く。正に、白井晃が言っている通り。

今後、この種の表現を好んでみようとは思わないけれど、気が付かせてくれたことには感謝したい。一度は経験してみたい舞台。


チラシの裏
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