<観劇レポート>アマヤドリ 「生きてる風」

#芝居,#アマヤドリ

【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 アマヤドリ「生きてる風/ ブタに真珠の首飾り」の観劇レポートです。

公演前情報

公演・観劇データ

項目データ
団体名アマヤドリ
生きてる風
脚本広田淳一
演出広田淳一
日時場所2021/03/18(木)~2021/03/28(日)
シアター風姿花伝(東京都)

CoRich 公演URL

団体の紹介

劇団ホームページにはこんな紹介があります。

2001年に「ひょっとこ乱舞」として結成。2011年に「大爆破」と銘打って脱皮を遂げ、2012年に「アマヤドリ」へと改称して再スタートを切った。
現代口語から散文詩まで扱う「変幻自在の劇言語」と、共感性と個別化を主眼とした「自由自在の身体性」を活動の両輪とし、リズムとスピード・論理と情熱・悪意とアイロニー、とか、そういったものを縦横に駆使して「秩序立てられたカオス」としての舞台表現を追求している。

アマヤドリ

過去の観劇

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

『生きてる風』は2020年5月に中止になった公演のリベンジ・マッチです。当初は「社会的ひきこもり」を扱った作品になる予定だったんですが、この一年で「ひきこもり」という言葉の持つ意味/ニュアンスも大きく変わってしまいました。この一年、世界中の人たちが「ひきこもり」を強いられるような未曾有の状況が生じたからです。その体験を基に、リアルタイムで進行しつつあるコロナ禍と、社会的ひきこもりの問題と、がっぷり四つに組んで新作を生み出してやろうと思います。

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

項目データ
観劇日時2021年3月20日
19時00分〜
上演時間100分(途中休憩なし)
価格3300円 全席指定 前半割

チケット購入方法

劇団ホームページからのリンクで予約しました。
当日Suicaで決済して、指定席券をもらいました。

客層・客席の様子

男女比は6:4くらい。様々な年齢層の方がいました。

観劇初心者の方へ

観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。

芝居を表すキーワード
・シリアス
・考えさせる
・ひきこもり

観た直後のtweet

満足度

★★★★★
★★★★★

(3/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
ここから先はネタバレあり。
注意してください。

感想(ネタバレあり)

作品名は「イキテルフウ」と読む。「カゼ」ではない。

不思議な芝居だった。あまり観慣れないタイプの展開。実験的な意味合いもある作品かもしれない。事前のストーリー解説通り、「ひきこもり」をテーマにしている作品。

前半1/3くらいは、引きこもりの人々が集まる下り。「ここに来れば、お医者さんから引きこもりが治る薬がもらえる」らしくて、集まる人々。会話が殆ど無く、あってもぎこちなかったり、テンポがゆっくり。この展開には、意識が遠のいてしまって船を漕いでいた時間がチラホラ。最後まで観ると、全体の中のシーンの意図としては理解できるものの、ちょっと退屈だったかな、というのが正直なところ。

後半、それぞれの引きこもりの事情と、自立を説得する家族が現れたり。あるいは赤いコートの「医者」と呼ばれている人が、引きこもりは「致し方ない事」と力説する。この「医者」を中心とした展開が面白い。そもそも「頑張りたくない人」に「自立する」事を促す、要は引きこもりを「治す」という二元論で迫るのは間違いだ、という主張。言っている事はとてもよく分かる。

そもそも社会の中で、「頑張る」事が美徳として扱われているけれど、そこから外れている人に「治す」と声をかけるのは、何か間違っているのではないか、という事。自立=美徳として扱われることが、そもそも間違っているのではないか。そもそも「ひきこもり」という定義自体が、自立することを美徳とした前提の中で生まれた言葉だ。当事者の登場人物たちの話を聞いていると、そんな事にハッとさせられる。

そこに、(劇中、コロナとは明言されていないものの)感染症の話が出てくると、「誰もがひきこもる時代」という事が、(劇中それ程明言されていた訳ではないけれど)確実に、頭の中でモヤモヤしてくる。時の首相の「自助・共助・公助」なんてふざけた言葉も、頭をよぎる。コロナで、自立している事を前提とした社会がそもそも崩れているのに、美徳が変わらないなんていう事が果たして適切なのか。そんな事が終始頭をよぎる芝居だった。

以前見た「天国への登り方」の時にも感じた事。テーマは鋭いものの、結局ひきこもりの人々と、医者が、生き様に対する"弁氏"になってしまっているような印象もぬぐえない。演劇の物語、と言うより、生き様を語っている、あるいは、弁論や哲学の講義を受けている、そんな錯覚を覚えずにはいられなかった。別の作品で同じことを感じるので、広田淳一の作風、という事なのだとは思うのだけれど。やはり、物語でその事を納得させる、というのを演劇に期待している自分には、ちょっと、腑に落ちなさ、説明臭さが残った作品だった。

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