<観劇レポート>劇団俳優座「対話」

#芝居,#俳優座

【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 劇団俳優座「対話」の観劇レポートです。

公演前情報

公演・観劇データ

項目データ
団体名劇団俳優座
劇団俳優座No.352
対話
脚本デヴィッド・ウィリアムソン
演出森一
日時場所2023/02/10(金)~2023/02/24(金)
俳優座スタジオ(東京都)

CoRich 公演URL

団体の紹介

劇団ホームページには紹介がありますが、長いので割愛します。
多くの俳優さんが所属し、テレビ等の出演も多い劇団です

劇団俳優座

過去の観劇

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

調停人・ジャック・マニングが今回取り組むのは、既に結審した事件の、服役者スコットサイドの関係者と被害者の両親との修復――「心を癒やすのではなく摩擦を減らす」試みだ。

両家関係者のほか、服役者のかつてのセラピストの計七名が出席した住民会議の場で、ジャックはまず口を開くーー「目指すものは先ず何が起きたのかを聞き、みんながどんな思いをしたのかを掘り起こし、そこから何らかの理解が生まれないか、考えることです」と。

オーストラリアを舞台に、日本ではまだ馴染みのない「修復的司法」を照射し、好評を博した『面と向かって』(2021年)に続く、「ジャック・マニング」シリーズ第2弾!
加害者・被害者の狭間で、マニングは如何に耳を傾けるのか。

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

項目データ
観劇日時2023年2月16日
19時00分〜
上演時間135分(途中休憩なし)
価格5500円 全席指定

チケット購入方法

CoRichのホームページから予約しました。
当日受付で、現金でお金を支払って、座席指定された券をもらいました。

客層・客席の様子

男女比は6:4くらい。40代upの観劇が目立ちました。

観劇初心者の方へ

会話による表現ですが、性的な描写が登場します。
入場時に、一人ひとりに注意事項の書いた紙が渡され、必ず読むように言われました。
舞台上で性的な行為が行われる・・・等ではなく、単に会話の中で展開される表現ですが、表現としてはきわどいです。

芝居を表すキーワード
・シリアス
・泣ける
・会話劇
・静か
・考えさせる

観た直後のtweet

満足度

★★★★★
★★★★★

(5/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
ここから先はネタバレあり。
注意してください。

感想(ネタバレあり)

娘をレイプされて殺された、両親。殺人犯は終身刑で服役中。その犯人の母親と、2人の兄弟。そしておじさんと。犯人の精神科医とが、一堂に会する。既に裁判は結審しているので、罪を明らかにする場ではない。犯人側の家族の希望で、ジャック・マニングという男が、この場を設定した。その場で、どんな会話がなされるのか・・・という物語。

デヴィッド・ウィリアムソンは、どうやらオーストラリアの劇作家。途中「キャンベラ」等、オーストラリアの地名が出てくるので、この物語の舞台も、同じくオーストラリアと考えられる。ジャック・マニングが出てくる作品はシリーズのようでで、この作品は2作目らしい。前作も俳優座が演じているが、私は観ていない。

リアルタイムの2時間ちょっとの時間を、そのまま切り取った作品。加害者家族と、被害者家族の、真っ向からの「対話」。レイプ殺人、という題材もあり、非常に生々しい言葉が飛び交う。服役ている犯人は、録音で自らの言葉を話す事で参加する(この役者さんは声だけの出演)。私が観た回は退席者はいなかったが、Twitterをみていると実際に退席した人が出た回もあったようだ。それくらい、生々しい現実を、目の前の劇空間で再現させられる。

あまりにも衝撃が大きすぎて、観終わって2日経っているけれど、言葉が出て来ない。色んなことを考え過ぎて、何を考えたか整理できていない混沌とした状況。今の段階では、思っている事のメモになってしまうが、つらつらと書き連ねてみる。

私自身も子供がいるので、どちらかというと被害者の父の視点で物語を観ているように思う。ただ、後半、被害者家族が違う思いにあることが分かるあたりで、被害者の父から母の方に、感情移入のバランスが移る。被害者の両親は離婚を予定しているようだけれど、娘の喪失でうまれてしまった溝が、浮き彫りになっていく。

途中、加害者犯人の妹が、社会問題・貧困問題としての原因を話すシーンもあるり、いわゆる「社会的な環境」による問題から、更に深い場所・・・個人的な経験や感情まで掘り下げてくる。でも、どちらかというと「社会の問題」にする事は、その場の空気としては否定されている。当然、当事者同士が集まったのだから、「当事者の事」が「語られるべき事」になっていく。

前半は、おそらく「裁判ではこんな事だったのだろうな」という風に見える内容なのだが、後半、最終的には「お互いの弱み」みたいなものをさらけ出していく。娘が死んでしまった事によって、それぞれどんな「不幸」を背負ったのか。それを、その場にいる人々が、ある種の「弱み」として話し、共感すると、その場の雰囲気が変わり出す。SNSで感想を漁っていたら、被害者の父のラストの台詞「軽くなった」というのが、ラビット・ホールを思わせる、というのにいくつか遭遇したけれど。私がKAATで観たラビット・ホールの「軽くなった」は、もっと軽くて、今回の重さとからの解放とは、ちょっと比較にならないなぁ、とも思う。やはりそれは、偶発的な何かと、故意の殺人との、違いであるようにも思える。

被害者の妹から、「社会的な要因」・・・貧困や環境についても語られる。ラストの結びでは、彼女が主張をしていたし、一理あるとは思うものの。やっぱりこの物語が目指す先は、そういう環境的な要因ではなく、むしろ起こってしまった後の、残されたものの救済が主眼であるようにも思う。

・・・と、全然まとまらず、書き連ねてしまった。しばらくこの生々しい体験について、考える日々が続くと思う。少しまとまったら、感想を書き足すかもしれない。

この難しい作品を上演できてしまう俳優座の役者さんの演技力に敬服。ほんと、その場を横から目撃しているような2時間だった。

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