<観劇レポート>ゆうめい「ハートランド」

#芝居,#ゆうめい

【ネタバレ分離】 ゆうめい「ハートランド」の観劇レポートです。

公演前情報

公演・観劇データ

項目データ
団体名ゆうめい
eyes plus ゆうめい
ハートランド
脚本池田 亮
演出池田 亮
日時場所2023/04/20(木)~2023/04/30(日)
東京芸術劇場シアターイースト(東京都)

CoRich 公演URL

団体の紹介

劇団ホームページにはこんな紹介があります。

舞台作品・美術・映像を制作する団体として2015年に設立。

自身の体験や周囲の人々からの「自分のことを話したい」という声を出発点として、生々しくも多種多様に変化していく環境と可能性を描き、その後、表現によってどのように現実が変化したかを「発表する」までを行う。

​>表現と発表をし続けることによって生まれる他者との共鳴と反発を繰り返し、現実に新たな視線や変化を見つけることを目指している。

ゆうめいの由来は「夕と明」「幽明」人生の暗くなることから明るくなるまでのこと、「幽冥」死後どうなってしまうのかということから。
「有名になりたいから“ゆうめい”なの?」と普段思われがちの名前から、由来のように「物事には別の本意が存在するかもしれない」という発見を探究する。

NHK Eテレ・TOKYO MX等にて美術制作・出演・映像ディレクション
TVアニメ脚本・外部への舞台出演・演出・美術にも活動を展開中

ゆうめい

過去の観劇

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

どこかにいる、いた、いない。
欲求と不確かな存在を描く一夜のフィクション。
今作の舞台は、都心から遠く離れた山奥の駆け込み寺的なコミュニティです。競争の生きづらさから逃れ、田舎での生活を願い様々な理由から集まる人々が登場します。色恋沙汰や階級制度、性別における特権や差別といった日本の俗世から逃れ静かに暮らしたい人々のところへ、アジア系の外国人女性が駆け込んだことを機に、俗世まみれのコミュニティとなり崩壊が起こる展開となっています。自身の欲求に対応できない能力の矛盾や、変化を望んだとしても長年形成され根本に根付いている人間の習性に、崩壊しながらも抗おうと変化する自身に新たな視点や発見を得られる内容を目指す所存です。また、今作は映像演出やモーションキャプチャーによるVR映像も使用し、劇場での演劇表現だけではないメタバース的なコミュニティも同時に描く演出を行う予定です。
現実と仮想のコミュニティによる重なりから、総合芸術としての探究にも注力します。

ゆうめい一同、名高い東京芸術劇場にて、座組みの皆様によって生まれる作品に注目を集めるため、良い作品を生み出すため尽力いたします。

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

項目データ
観劇日時2023年04月26日
14時00分〜
上演時間125分(途中休憩なし)
価格4800円 全席指定

観た直後のtweet

満足度

★★★★★
★★★★★

(5/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
ここから先はネタバレあり。
注意してください。

感想メモ(ネタバレあり)

※文章書くのが不調で、しっかり書き上げる余裕が取れないため、当面は感想のメモだけ残しています。後々振り返って、もう少しちゃんとした文章に仕立てあげるかもしれません。

過去のゆうめいの作品は、いじめられた過去だったり、父や母との関係を、虚実一体のギリギリの線で描くのが特徴だった。一方今回は、これまで観たゆうめい作品と違って、作風を新たにしてきた、という感覚。前半、混沌とした「ハートランド」は、意図的な段差と、扉(実在せず役者がマイムで演じる)のある舞台セットを用いて、一体何を指すのか分からずにちょっと苦労したものの、ここで描かれる場所は、これまでと違ってどこか完全に「虚構」であるように思う。後半に向けて立ち上がってくる世界が、虚構の世界をよりどころにしているのに、これまで観た、ゆうめい、のテーマそのもの。居場所の無さ。落ちてしまった隙間のような場所。それが、インターネットの世界を借りる事で、どこか現実に立ち上がってしまう世の中。その不気味さ。無念さ。それが集積したような場所に描かれていた。

ふたつ印象的なエピソードがあった。

ひとつ。舞台には登場しない、学生時代にいじめられて、屈折していた人物の話。まねき猫の人形に、自分の精子をかけ続けて、それを「アート」だとしていた。「ハートランド」が映画に映った時は「気持ち悪い」と言われていたのに、今やその「アート」が、世界の誰かに評価されて、NFTとして高値がついている。

もう一つ。自分の容姿に絶望した、美人な台湾から来た子。何故か、スマホを沢山持っている。・・・劇中明確に語られず、いくつか解釈が存在しそうだけれど・・・私は、自殺する人が現実と重なるメタバースの中の空間に、スマホと共に遺書を残して死んでいった・・・と理解した(間違っているかも)。誰かに届くとも知らない、でも実は届いて欲しいという狂おしいほどの願望が背景にある自殺者の「遺書」を、和室にスマホを並べて、維持しているシーン。

この二つのエピソードが、何だか妙に生々しい。これ、ゆうめいがこれまで描いてきた作品そのものを指してるように思えてくるのが印象的だった。

かつて映画の舞台になった場所・・・を舞台セットにしているので、上演前後は、まるで映画館のような始まり方。客入れ時に、「No More 映画泥棒」も流れた。その中で、「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」という作品の宣伝が流れた。その後映画も観たけれど、ゆうめいの作品に登場する「父を映画監督に持つ」という設定が、この映画作品を監督している金子由里奈、脚本のコンプソンズ金子鈴幸と似ていて、ここから設定を取ったのかなぁ・・・あるいは取材して得られた設定なのかなぁ、などと思い。