(感想)KERA・MAP #8「修道女たち」作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ 出演:鈴木杏、緒川たまき、他

信仰や信じることについて、考えさせられる。(ネタバレ、ほぼなし)



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観劇データ

場所本多劇場
日時11月8日 19時開演
料金7400円(当日券で入場)
上演時間1幕:75分/休憩:15分/2幕:105分/合計:約3時間15分

ストーリーは「国王」に迫害を受けた宗教の修道女たち。迫害の手が迫る中、聖地の村の館で起こる悲喜劇を描いたもの。

作・演出ケラリーノ・サンドロヴィッチ・・・彼の作品は何度か観たことがあるが、彼の演出の舞台は、初めて観る。実際の舞台はどんななんだろう、と、他劇団、他演出の作品を観ていて夢想していたが、想像に違わず正統派なストレートプレイ、という印象を受けた。

作品は「信仰」あるいは「信じる」という事に対して、観る人に疑問を投げかけてくる。あるいは信じるが故に「許す」という行為。
信じるということのどこか「滑稽」な部分と、人間が根源的に持つ捨てることができない大切な部分。人間の、愛おしくも狂おしい性について語っている。「信じる」というありふれた人間の性を、「信仰」という中の物語で語っている。

話の主軸となる宗教は、キリスト教に似ていてキリスト教ではない。十字架ではなく、十字架の下にUの字のついた、船の錨のような形をしている。「アーメン」と言い、十字架を切るべきところは「ギッチョター」と言う。最初のうちは、修道女たちが「ギッチョダー」と唱えるたびに、クスクスと笑いが起きていたが、舞台終盤になればそのような感覚は薄らぐ。あたかも、そんな宗教が実在したかのような感覚。宗教という人間が作り出した救世主に対する、どこか救われない側面が、3時間の舞台の時間軸の中で深まっていく。

6人の修道女たちのキャラクターは個性豊かだ。
緒川たまき演じる、ニイニという名前の修道女。鈴木杏演じる、少し知恵の足りない村に住む少女、オーネジーとのやりとりが切ない。オーネジーは、修道女たちと村を出る事になるが、彼女の気持ちの流れが自然と表現されていた。

また、親子で修道女となったソラーニ(伊藤梨沙子)と、アニドーラ(松永玲子)の関係は、この架空の宗教が現実身を得るための過程とともに、丁寧に描かれていた。思い出の詰まったネックレスを暖炉にくめる娘と、火傷を顧みずにそれを取る母親。大火傷を追ったはずの母の顔が、娘の祈りで元に戻る。演劇らしい嘘だが、この流れに妙に納得してしまう。

冒頭、プロジェクションマッピングのような演出で、教会のステンドグラスが再現され、その流れで映画やドラマのように、役者の名前が紹介されたが・・・KERA・ MAPは必ずこのような手法を使うのだろうか。正直なところ、この演出は、かなり余分に思え、げんなりした。犬山イヌコは、誰もが知っている。それを冒頭で、「犬山イヌコ」と字幕を出されても、客は醒めるだけだ。役者は、カーテンコールが始まるまでは、役のままでいて欲しい。演じるって、そういうことのはず。実名を意識する瞬間など、微塵もなくて良いのではないか。そこに金をかけるなら、役者紹介のカラーのパンフレットを無料で配るくらいの方がよほど親切だと思う。

ケラリーノ・サンドロヴィッチの演出作品。初見ということもあり期待していたが、途中、客として、何度か集中力が途切れてしまう場面があった。舞台という「魔法」をもう少し駆使して、パンチの効いた仕掛けを作って欲しいなぁ、という思いがある。おそらくこれは、ミュージカルなどを好む私の「好み」の問題だとは思うのだが、これだけ支持を集めているのだから、私の意見が亜流なのかもしれない。他の劇評を読んでみたいと思う。

そういえば。18年ぶりくらいに本多劇場へ。下北沢も10年ぶりくらいか。賑わいは変わっていないけれど、電車の改札がよく分からない・・・。最近お世話になってる「観劇三昧」の前も通りました。開演まで時間がなく走ってたので・・・お店にはまたいずれ。


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