<観劇レポート>東京演劇アンサンブル 「宇宙のなかの熊」

#芝居,#東京演劇アンサンブル

【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 東京演劇アンサンブル「宇宙のなかの熊」の観劇レポートです。

公演前情報

公演・観劇データ

項目データ
団体名東京演劇アンサンブル
こどもの劇場公演
宇宙のなかの熊
脚本デーア・ローアー
演出公家義徳
日時場所2021/06/16(水)~2021/06/20(日)
シアターグリーンBOXinBOXTHEATER(東京都)

CoRich 公演URL

団体の紹介

劇団ホームページにはこんな紹介があります。

21世紀の初頭にあたって、東京演劇アンサンブルは人間の精神に問いかける演劇運動を展開しつづける。演劇が物語を語る道具ではなく、目的のための思想の伝達手段でもないことは、20世紀の演劇をつうじて確かめられたことであると、我々は考えている。

演劇は、作品をつくる過程のなかにこそ生まれる。作品行為こそ、人間の精神に揺さぶりをかけ、時代状況に切り込める。それは俳優が劇場の舞台に立ったとき観客とともに生み出すものである。そのような「瞬間」に生きる「俳優」に賭ける舞台は、まさに20世紀の日本の新劇運動の歩みを最も創造的に継続するものだ。

日本の演劇が、伝統演劇から現代演劇まで、ますます多様化しているなか、広渡常敏と東京演劇アンサンブルの仕事の個性は、際だった道を辿っている。商業主義の蔓延した日本の演劇界の流れのなかで、ひたすら自身の求めた演劇の理想を追求することが、多くの観客に支持され、劇団内部の活力の源泉ともなっていくことを創立以来実践し続けている。

21世紀、東京演劇アンサンブルが中心に据える仕事は、既に前世紀のものとして捨てられようとしている“革命”の精神をとらえ直すことである。変革への憧れと自身への戦いなしに人間はない。演劇の言葉が革命を語るのではなく、「言葉を語ることとその言葉を受け取る瞬間が革命そのものであるような演劇」が、本当に自由な人間の精神をつくりだし、人間が生きる状況をつくりだす。世界を動かすエネルギーとなるような演劇を、広渡常敏と東京演劇アンサンブルは求め続ける。

東京演劇アンサンブル

過去の観劇

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

ホッキョクグマのベニーは、温暖化によって氷塊をなくし、
家族もなく、この種族の最後の一匹です。
ベニーは、奥さんとなる女の子を探しに旅に出ました。
氷が溶けてしまったから、自分でいかだをこしらえて。
そしてある日、南の国“ポリネシア”の砂浜にたどり着きます。
ポリーがやってきます。「ヘイ あなただあれ?」
ポリーは白くてふわふわしています。
きっと奥さんにぴったりです。
けれども残念ながら、ポリーはニワトリなのです。
落胆するベニーに、ポリーは恋人募集の新聞広告をすすめます。
「陽気で心の広い白熊が恋人募集。魚好き歓迎。毛皮付き希望。写真同封。」
ゆうびーん! 返事が来ました。分厚い小包。
それを開けてみると……火災や密猟者におびやかされるキリン、プラスチックの海で暮らすクジラ、ふるさとから逃れてきたヒグマ…ポリーは、ベニーを通して世界を知っていきます。

「5歳以上のこどものための演劇作品」と銘打たれた
Dea Loherによるはじめてのこどもの芝居。
2020年9月カーゼルSTAATS THEATREで初演。
ドイツの権威ある演劇賞であるミュルハイム賞児童劇部門に
ノミネートされた作品の日本初演。
マリンバの生演奏、映像、ダンス、歌、
すべてのコラボレーションで贈る
ホッキョクグマとメンドリの出会いと別れの物語。

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

項目データ
観劇日時2021年6月17日
19時00分〜
上演時間85分(途中休憩なし)
価格3800円 全席自由

チケット購入方法

Confettiのサイトで予約しました。
セブンイレブンで予約番号を伝えて、現金決済してチケットを受け取りました。

客層・客席の様子

男女比は5:5くらい。
若い層と、比較的シニアな層に二極化していたように思いました。

観劇初心者の方へ

観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。

芝居を表すキーワード
・会話劇
・考えさせる
・シンプル

観た直後のtweet

満足度

★★★★★
★★★★★

(5/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
ここから先はネタバレあり。
注意してください。

感想(ネタバレあり)

こどものための劇場公演。昨年観た「おじいちゃんの口笛」が良かったので、こども向けでも、気にせず観劇。とはいえ今回も、こどもを一人も見かけなかったけれど。平日夜公演だからか。

とても良かった。余韻が強い。作品の余白が広くて、解釈には人によって大分幅があるんじゃないか、と思う。劇中の歌を口ずさみながら、余白の部分について終演後にいろんなことを考えた。こどもも楽しめるけれど、大人は更に深く楽しめる作品だと思った。こどもは、この作品を観て意外な事を考えたりするんじゃないか、と思うと、感想を聞いてみたくなる。

表面的には、ホッキョクグマ(シロクマ)とメンドリの、出会いと別れの物語。ホッキョクグマは出会い系(らしきもの)に登録して、奥さん探しするのも、今っぽくていい。結局見つかった奥さんは、シロクマじゃなくてヒグマ。同じじゃないけれど、近いから大丈夫、的な。蜂蜜を「強奪」(うろ覚え)する事にどこか共感を覚えるふたりはラブラブに。そんな二人の間で、恋心に似たような感覚をシロクマに覚えてしまったメンドリは、かつてのシロクマと同じように、いかだに乗って旅に出る。

キリンとデートして筋肉痛、クジラとデートして、深海で水飲み込み過ぎてオェオェ吐いてるのが、画として面白い。ニワトリの世界では「カラスのクソみたい」っていうのを「最悪」っていう意味の例えで使っていたかと思えば、実際にカラスが出てきて、「ニワトリのクソのような」とカラス界では言ってたり。終始コミカルで、クマのダラダラした感じと、メンドリの優しいけれど複雑な心境がよく分かる。

そんな表面的な物語だけでも、十分楽しめる演劇のだけれど。物語の背後にある意味・・・物語の余白が、どこか寓話的。物語やセリフとしての明確な主張は、全く無いのだけれど、微かにそんな空気を感じ取る。

その意味では、ここからは私のかなり勝手な解釈、私の感じ取った事だけれど。

シロクマは、キリン・クジラとデートしてみるも、結局ダメ。相手を嫌いな訳じゃないけれど、どう逆立ちしたって奥さんには出来ない。メンドリは、シロクマとのたまごを産む夢を見るけれど、もちろん現実にはならない。恋物語・・・というには、あまりにも無理がある。生き物には、そもそも居るべき場所、一緒に居るべき相手がいる、という「少し残酷な現実」を、サラリと描いているようにも見える。この状況、この4匹のやりとりに、マイノリティ、生きずらさの要素を持った人々が、妙にダブって見える。真っ向から描くととても残酷な現実だけれど、こういった寓話なら、感覚的に理解出来る。

メンドリの恋は、モロ似ているだけれど、谷山浩子の「恋するニワトリ」を思い出したり。あるいは、大分飛躍しているかもしれないけれど、映画「ミッドナイトスワン」の「母になりたいと思った」凪沙をふと思い出したりする。

動物がマイノリティに見える…という風に見ると、どこか環境問題の物語にも見える。実際、シロクマは北極で最後の一人になってしまったから海を渡ってきたし、デート相手のキリンも一匹取り残されている。観ている時はそれ程感じなかったけれど、終演後、感想ツイートに、そんな感想を見かけて、ふと思い立った。

・・・あくまで個人的な解釈を書いてしまったけれど。受け手一人一人に解釈の旅を許してくれるような、物語の余白が想像を呼び起こしてくれて、劇中で歌われる歌のメロディーと相まって、とても良い余韻になった。とてもいい気持ちで帰路についた。シロクマとメンドリが、北極星を見上げるシーン。チラシの絵が投影されて、この絵の雰囲気と共に、印象に残る。

舞台後方での、マリンバの生演奏が、芝居の空気にとてもマッチしていた。芝居のリズムが創られるのと、打楽器なのに和音が出て音楽にもなるのと、なにより「ポリネシア」っぽい雰囲気が心地よかった。

役者さん。雨宮大夢、「世界で一番明るいクマ…じゃないけど」(うろ覚え)の説明の通り、すごく能天気で、ちょっとダレている(動物園で見かけるような)クマのイメージがそのまま。永野愛理、「おじいちゃんの口笛」で表情がとても印象的だったのだけれど、今回も、メンドリのくちばしの動きがおもしろい。我が家で飼っているセキセイインコそっくりで、思わず笑ってしまった。

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