まだ間に合う公演レポ(3日4時)
●10/23(日)まで 劇団た組「ドードーが落下する」
●10/16(日)まで KAAT神奈川芸術劇場 「夜の女たち」
●11/30(水)まで 楽市楽座「ゆりあげ」

<観劇レポート>快快(FAIFAI)「コーリングユー」

#芝居,#KAAT,#快快

【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 快快(FAIFAI)「コーリングユー」の観劇レポートです。

公演前情報

公演・観劇データ

項目データ
団体名快快
コーリングユー
脚本北川陽子、快快
演出快快
日時場所2022/08/26(金)~2022/09/04(日)
神奈川芸術劇場・大スタジオ(神奈川県)

CoRich 公演URL

団体の紹介

劇団ホームページにはこんな紹介があります。

2008 年結成。東京を中心に活動する劇団。変化し続けるメディア、アートの最前線にアクセスしつつ「演劇」をアップデートし、社会性とポップで柔らかなユーモアを併せ持つメッセージで幅広い支持を得る。2009 年よりアジア、EU にも活動の場を広げ、2010 年9 月代表作『My name is I LOVE YOU』でスイスのチューリヒ・シアター・スペクタクルにてアジア人初の最優秀賞、「ZKB Patronage Prize 2010」を受賞。国際的にも注目されている。主な作品は『My name is I LOVE YOU』(2009)、『Y 時のはなし』(2010)、『SHIBAHAMA』(2010)、『アントン・猫・クリ』(2012)。『りんご』(2012)が第57 回岸田國士戯曲賞候補となる。『6 畳間ソーキュート社会』(2013)、『へんしん(仮)』(2014)、ハイバイ岩井秀人氏を演出に迎えた『再生』(2015)は2,000 名を超える動員を記録。ホテルのスイートルームで上演した『CATFISH』(2017)も話題を呼んだ。ツアー型演劇「ウェルカムチキュージン」(2017)や、フェスティバル/トーキョーまちなかパフォーマンスシリーズ『GORILLA ~人間とは何か~』など劇場を飛び出したパフォーマンスにも定評がある。

快快

過去の観劇

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

久しぶりの新作は、私たちの先生、詩人・鈴木志郎康を原作にした舞台です。
「極私的」という言葉を発明した人です。
私たちがフラットな関係で共同制作を続けているのも、瑣末な事にこだわるのも、彼の影響かもしれません。
彼の詩にはとにかく、ごちゃごちゃと自身の日々のことが書かれます。詩がそのまま本人です。なので、鈴木志郎康を原作にする=鈴木志郎康という人を原作にする、といえます。
その詩人は、かっこつけず/リラックスしすぎず/適度に緊張し/頭良さそうに取り繕わず/流行りも無視/シンプルでいる/狭さに徹する/軽みのエキスパートです。そこに憧れを持ちます。
つい大きなものに囚われそうになりますが、お互いそこまで同調せず/でもなんとなく連携して/現実が複数ある感じを気に入りつつ/大変だけど普通に生きていくというわれわれのスタンスで/作品としては完成しているけれど未完成である事を目指しつつ、準備をすすめています。

快快と北川陽子

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

項目データ
観劇日時2022年8月26日
19時00分〜
上演時間90分(途中休憩なし)
価格4000円 全席自由 チケットに整理番号付き

チケット購入方法

チケットかながわで購入、カード決済しました。
セブンイレブンでチケットを受け取りました。

客層・客席の様子

男女比は5:5くらい。
様々な年代層の人がいました。

観劇初心者の方へ

観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。

芝居を表すキーワード
・身体表現
・考えさせる

観た直後のtweet

満足度

★★★★★
★★★★★

(4/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
ここから先はネタバレあり。
注意してください。

感想(ネタバレあり)

2019年に、同じくKAATで観た「ルイ・ルイ」の後、2度目の快快。「ルイ・ルイ」の来場者向けの特典として配信された曲「ルイ・ルイ」と共に長く印象に残っていた。消えてしまうまで、何度もヘビロテしたのを思い出す。客入れの中で流れるアナウンスの中で「世界をまたにかけた快快」って言っていたような気がするも、私は、「ルイ・ルイ」の後知った、快快の"またにかけていた"頃の活動を、知らない、ニワカ快快ファンなのだけれど。

後々いろいろ読むと、この作品が、ある詩人の作品の舞台化だという事を知るものの。ひとまずはいつもの通り、前情報の無い状態での感想を書いてみると。

前回観た「ルイ・ルイ」同様、今回も、作品のストーリー的な解釈は難しく、一意的な解釈は難しい。・・・というか意図していないように思う。パフォーマンスも、ダンス・・・というか、身体表現に近い部分と、演劇に近い要素が混じりあう。私自身の好みとして、この手の表現は苦手に感じる事が多いのだけれど、不思議と快快は、苦手意識みたいなものが襲ってこない。身体表現と演劇とに分類しようと試みた時、断片的ながらも、語られる言葉が鋭くて、どちらかというと演劇の方に寄っているように感じる。

舞台は、KAATの大スタジオの通常ステージ面に、三角形の「花道」をつなぐような構造。三角形の中心には、公衆電話の電話ボックスと、プール。3人・・・1人の男と2人の女は、水着姿。女二人は、どこか映画「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」とか、リュック・ベッソンの映画に出てきそうな、ちょっと未来っぽい?へんてこな水着。三角の外には、やっぱり未来っぽいへんてこな服を着ている女性DJが、効果音や音楽を流す。途中、タイツみたいな衣装に着替えて、やっぱり踊っている。時に、プールに浮き輪を浮かべたり、あるいは泳いだりしている。3人は、踊っているのだけれど、どこか遊んでいるようにも見える。そういえば途中で「休憩」とか言って、ラーメンとかアイスとか、食べたりしていた。

電話ボックスの電話は、誰かにつながったまま。3人が、踊り、何かを語る様を、その電話の先の誰かに伝えている。3人の会話から、電話の先の人物はどうやら恩師の先生。大学時代の、詩人の先生。もう寝たきりになってしまって、ここに来ることは叶わない。ひょっとしたらボケてしまって、ここで行われている事が伝わっても、理解してもらえるか分からない、のかもしれない。

3人は、「キャー」と叫ぶ。大声で叫ぶ。でも直後には「これは、嘘のキャー、だ」という。そこで叫んでいる私が「キャー」というと、それは既に「嘘」。演技としての「キャー」だから、というのと、「キャー」のあとも、私は変わらずに存在しているから。本当の「キャー」は、私が私でなくなる時に発せられる「キャー」。ウクライナの描写なども織り交ぜながら、私が死んでしまう時の「キャー」に思いを馳せる。そして、何度も出てくる、うその「キャー」は、電話の先にいる先生へ、私はまだここにいる、という存在主張の「キャー」にもなっているように見える。

電話の先の先生。尊敬している先生への、ごく私的な、ラブレターのような思い。それを、何とか届けようとする行為。「キャー」という嘘を連ねながらも、その「うそ」を教えてくれた先生への、たむけの儀式のような、そんな様子に見えた。

・・・やはり、全体の意図は分かり難いので、観終わった後、背景の設定や、他の人の感想を読む。どうやら、作品のベース(原作)にある詩人、鈴木志郎康は、詩の中で「極私的」という概念を編み出した人のよう。この作品全体が、電話ボックスを通した、「極私的」な詩になっている、という訳か。そしてきっと、このユニットの母体となった大学で、鈴木志郎康は教えていたのだろう。彼の詩人としての生き様を舞台にそのままあげるのが、「原作」にするという事、なのだろう。そして、その思いは、その先生には、きっと届かない。それでも、明日も、電話ボックスの受話器を上げて、切れたコードの受話器の先の先生に語りかける。それが、存在した事の証というか、本当の「キャー」に近い・・・という事か。・・・そんな解釈をした。

観たのが初日だったので、まだまだ言語化の数が少ないけれど。いろんな感想を読んでみたいところ。

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