<観劇レポート>中野坂上デーモンズ 「終わる」

#芝居,#中野坂上デーモンズ

【ネタバレ分離】

観た芝居の感想です。

公演前情報

公演・観劇データ

項目データ
団体名中野坂上デーモンズ
第17回
終わる
脚本松森モヘー
演出松森モヘー
日時場所2020/08/12(水)~2020/08/16(日)
OFFOFFシアター(東京都)

CoRich 公演URL

団体の紹介

こんな紹介を見つけました。

松森モヘーを中心とした芝居のチーム。
劇団ではなく偶然つどった仲間で出来ている。
ENBUゼミナール2011年ノゾエ征爾クラス在学中に微動。
2012年、旗揚げ公演を前にしてチーム内での確執・裏切り・陰謀・争いをへて
現在の形となり本格的に始動する。
全てを出し切り“何かわからない業の深いもの”を作り続ける
《中野坂上ストロングスタイル》は唯一無二であり、
見るものを謎の感動と不快感へ引きずり込む。
何も感じない人もいる。それはしょうがない。
近年は《中野坂上ストロングスタイル》のみならず、
会話の完成度を追い求める《北区王子コンバセーションスタイル》、
ひたすらの出鱈目を創造する《四谷マザファッキンアウトブレイクスタイル》などを駆使し、
劇場のみならず様々な音楽LIVEやイベント、フェス等にも出演する。
中野坂上という街に特に想い入れはないが、
中野坂上は日本で一番AV女優とすれ違う街だということは本当の話らしい。

中野坂上デーモンズ

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

《 ご挨拶 》
終わることへの何とも言えない微かな期待を持ちつつこの数ヶ月を過ごしていまして。やっぱり私たちはしぶとくて、凄い終わりそうだったのに全く終わらない。 仕事も生活も演劇も。何かぜんぶ終わりそうだったのに、私たちは終わらないように終わらないようにとしぶとくて。

でもこの終わらない感じがわりとしんどくて。いっそのこと早く終わらせておくれと思う自分がいて。せめて作る演劇だけはちゃんと終わらせたい今なんですが、終わらないということの超自然的な凶暴性を知ったいま本当に終わらせることができるのかなかば半信半疑です。終わらない終わるの息の根を止めるため命懸けで終わらせにゆく所存です。ぜひ終わりに来て頂けましたら幸いです。何卒よろしくお願い致します。

中野坂上デーモンズ
主宰 松森モヘー

観劇のきっかけ

以前から気になる劇団。やっと観劇の機会に恵まれました。

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

項目データ
観劇日時2020年8月14日
14時00分〜
上演時間60分(途中休憩なし)
価格3000円 全席自由

チケット購入方法

劇団ホームページからのリンクでWeb予約しました。
当日、受付で料金を支払いました。

客層・客席の様子

男女比は、8:2くらい?。中年upの男性が多いように感じました。

観劇初心者の方へ

観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。

芝居を表すキーワード
・にぎやか

観た直後のtweet

映像化の情報

情報はありません。

満足度

★★★★★
★★★★★

(3/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
ここから先はネタバレあり。
注意してください。

感想(ネタバレあり)

ストーリーらしきものが希薄な芝居ではあるものの、あえてその線を追ってみると。
女性6人が、会場時から舞台の椅子に座っている。芝居開始と共に突如始まる、「アフタートーク」。あれ、いきなりアフタートークだけれど、そもそも芝居なんてやってましたっけ?と疑問が投げかけられる。登場人物それぞれに、その架空?の舞台役者としての役があり、役同士で語られる、終われなかった理由、終わったのかもしれない何か、終わりたくなかった後悔の念、終わらせたかった事。時折、ドモリにも聞こえる、しかしマシンガンのようなセリフの中で、語られる「終わる」事の物語。

劇団初見。あまり下調べをせずに行ったので、客入れ時から舞台にいる役者さん、全て女優さん。結局、女優しか舞台に出てこなくてちょっと驚いた。何となく、今まで何度か見かけていたチラシのイメージから、男優さんがメインの劇団だと、勝手に思っていた。その女優さんたちが、マスクをした状態で、意味があるのかないのか、時に判然としない言葉で、マシンガンのようにしゃべり続ける。これは凄いなぁ、という思い。役名らしき役名も語られないので、当日パンフのどの人がどの役者さんだか、全くつながらなかったけれど、個性的な役者さんの台詞の応酬は、観ていて清々しいというか、気持ち良いものがあった。

作品のテーマは、やはりコロナによってもたらされた、今のこの状況だろう。生まれなかったので「終わる」事さえできなかった舞台。演劇が「終わってしまう」ような絶望感。そして、コロナのこの状況はいつ「終わる」のか。そういったモノたちに対して、叫びかけている、吠えかけている演劇なのだ、という風に感じる。その意味で、今ココの状況の描写は、ある程度成功しているのかもしれない。

ただ、私自身にとっては、観続ければ観続ける程、どんどんと息苦しくなってしまった。途中で(実際に)換気をする演出が入った時、息苦しさを察知してくれたかのように感じた。換気の間だけ、息苦しさから解放された。OFF・OFFシアターの下手の窓を開けると、下北沢のこんな風景が見えるんだ・・・新鮮だなぁ、なんてことを思った。マチネだったからか、差し込む現実の世界がまぶしくて、舞台の世界がくすんで見える。普段は、舞台が神々しく、光り輝いて見えて、全く逆に見えるのに。なんなんだろう、この鈍くてくすんだ感触は。

「演劇は希望を語るべきだ」なんて、野暮なことは言わないし、この状況の描写を、今、私自身がたまたま求めていなかった、というだけかもしれない。ただ、こんな誰もが立ち尽くしてしまう状況だって、舞台は輝くと信じている自分がいて。その光を浴びられなかった事が、辛い。大好きな舞台の前に居るのに、笑えない、遊べない感覚。舞台観ていて息苦しい自分が、辛い。コロナが辛いんじゃなくて、コロナの息苦しさしか表現してくれないのか、という思いが、辛い。叫ぶ・吠えるだけでなくて、この状況を、光の中で表現する方法ってなかったのかな、それを考えてはくれなかったのかな。そんな事が、息苦しい中でループしてしまって、とにかく、辛かった。


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