<観劇レポート>優しい劇団「演劇の魔物〜女優、跳梁跋扈(リビングデッド)篇!〜」

#芝居,#優しい劇団

【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 優しい劇団「演劇の魔物〜女優、跳梁跋扈(リビングデッド)篇!〜」の観劇レポートです。

公演前情報

公演・観劇データ

項目データ
団体名優しい劇団
第五回公演 初夏の女優祭
演劇の魔物〜女優、跳梁跋扈(リビングデッド)篇!〜
脚本尾﨑 優人
演出尾﨑 優人
日時場所2022/05/27 (金) ~ 2022/05/29 (日)
ナンジャーレ(愛知県)

CoRich 公演URL

団体の紹介

劇団ホームページにはこんな紹介があります。

名古屋を拠点に活動する劇団。
2018 年 9 月に尾崎優人を中心に、1999 年生まれの同級生で旗揚げ。
「俳優の特権的な肉体とかつて見た風景の視覚的リメイク」を一貫したテーマとして掲げ、
「人の心の涙を拭う演劇」をモットーに活動している。
劇団員は、尾崎優人、大岩右季、石倍舟太、千賀利緒、小野寺マリー、橘朱里、石丸承暖の7人。
公演ごとにキャスト・スタッフを迎えて活動している。

優しい劇団

過去の観劇

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

20XX年! 名古屋の小劇場「ナンジャーレ」に
九人の老婆が集められた!!
その正体は、宝塚音楽学校に復讐を誓った者たちで結成した劇団
「麗しの劇団」のかつての劇団員たちだった!
謎の男ブラック尾崎の陰謀により、数十年ぶりに再会した彼女たちは、
若き日の自分、そして、
劇団解散の顛末を演じることを要求される!
それは先日亡くなった、麗しの劇団代表の遺言だった!

演技とは、演劇とは、女優とは。
なぜ劇団は解散してしまったのか…!!!

演劇とは魔法。
見たことがないものを見た気になれる!
聴いたことのない音を聴いてる気になれる!
もう会えない人に会えたような気がする!
未来でも過去でも何処へでも行ける!!
…かもしれない。

老婆たちは己の封印した過去、想い出と化した
後悔と向き合うため、演劇の魔法を使い、
かつての時代へのタイムスリップを始める!

スポットライトすら当たらない彼女たちが!
今!演劇の魔物になり蘇る!!!!

「いいじゃない!過去なんだから!!
 美化すれば!美化よ美化!ビッカビカ!」

​>2022年!初夏!
ため息と後悔を道程に敷き詰めた現代日本に!
優しい劇団が贈る!ノンストップ演劇挽歌!!
説明台詞でも叫ばないと生きていくことすら
苦しいこの世の中に!!
九人の女優が跳梁跋扈する!!!

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

項目データ
観劇日時2022年5月28日
18時00分〜
上演時間110分(途中休憩なし)
価格2000円 全席自由 受付順

チケット購入方法

劇団ホームページからのリンクで、CoRichで予約しました。
当日受付で、現金でお金を支払いました。

客層・客席の様子

男女比は5:5くらい。
様々な年齢層がいました。

観劇初心者の方へ

観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。

芝居を表すキーワード
・コメディ
・シリアス
・泣ける
・笑える
・にぎやか

観た直後のtweet

満足度

★★★★★
★★★★★

(5/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
ここから先はネタバレあり。
注意してください。

感想(ネタバレあり)

名古屋に出張っての、劇団2度目の観劇。

…さて、何を書いたものか…、というのが正直なところ。

何を書いても、指の間からこぼれ落ちてしまう物の存在を、意識せざるを得ないような感覚。細かい事を書きたいような。でも細かい事は置いて、本質を貫きたいような。でも、本質ってそもそも何なんだろう。細かいことに、本質があるような…。

書き出すと、メビウスの輪の中に置かれてしまう。今、一体何を書いておくべきなのか、とても悩む演劇。

例えば、作風とテーマ。前回観て衝撃を受けた、「どうしようもなく、別れ」と同じ路線。シンプルな舞台装置。マシンガンのように早い台詞。体を使った芝居。エネルギー。そして、古今東西の「演劇」にまつわる事を取り入れながら、「演劇」そのものについて語る。前作と同じスタイルは偶然なのか。・・・いや、やはりこの劇団、あるいは尾崎優人の作風なのだろう。今回は、舞台のシンプルさに更に拍車がかかる…というか、開場して客席に入って、違和感を感じたのが、照明が殆ど吊られていないこと。地あかりでさえ、蛍光灯。本当の素舞台。そのあかりで行くのか…と思ったら、さすがにラストシーンだけはフットライトっぽいのが出てきたけれど。人の魅力と、リズムとセリフと、そして音楽とだけで魅せる芝居…。この迫力たるや、他の劇団では絶対にお目にかかれないものなのに、やっぱりここまで書いても、それは「些細な事」のような気がしてくる。

例えば、細かいネタ。最初の地味な衣装を剥いだ時、それでもやはり「地味だ」と感じた、妙な違和感は正しかったよな、とか。トレーニングウエアの下、おへそを出しちゃえばいいのに。でも妙に隠している感があるのは何じゃ。…あ、その後の赤いドレスの女たちを引き立てるためだよなぁ、とか。あるいは。池田豊が、今回は惜しげもなくパワーマイムで、腹筋善之助や、佐々木蔵之介をパロったなぁ、とか。鳥貴族で飲みてえ、という叫びが、あまりに生々しい、とか。…でもやっぱり細かい事で。あるいは、知っているか知らないか、気付いているか、気付いていないかくらいの、本当にどうでもいい範疇で。この演劇の凄さは、そういう「些細な事」ではない気もするという。やはり、何を語っても「こぼれ落ちる感覚」がある。

では、テーマについて書いてみると。…演劇をやる事のある種の「報われなさ」は、作者の尾崎優人も含め出演者が、むしろ一番よくわかっているはずで。それは演じれば演じるほど、創り手自身に突き刺さる命題なはずで。ジワジワと注目されている優しい劇団が、もしこのまま大きくなったら、それは正に「麗しの劇団」そのものであって。…いや、観客という悪魔の声を代弁するなら、「そうなって欲しい」と、どこかで願っているのであって。ナンジャーレの壁に糞を塗りたぐっても、多分大した事件にはならないが、それでも、日常をぶち壊す何かを、観客は優しい劇団にもう期待し始めている(まだ2作しか観てないけど、これは断言できる)。「それでも、夢を見させてくれよと(うろ覚え)」と叫ぶ、池田豊。その、当事者の痛みの感覚を、ここまで鮮やかに切り取るのも鋭すぎる。このセリフに涙しながら、とはいえあまりにも清々しくてスッキリ快便。・・・ただ、こんなテーマでさえも、冷静に考えると、作っている側が「分かっててやっている」のだから、もはや「些細な事」。当然の覚悟としての未来…のようにも思えてくる。

普通の演劇だと、このブログを埋め尽くしてしまう一つ一つの気付きが、やはり何処までいっても些細な事。些細過ぎて「ポイントはそこじゃねーんだよ」っていうツッコミを、誰からともなく受ける。いや、自分自身で突っ込んでしまう。未来の自分も、過去の自分も、一斉に突っ込んでくる。やはりどこまでも、メビウスの中に居る。

では、この演劇は一体何だったのか。というのが、上手く言葉にならないのだけれど。

終演後Twitterで感想を漁ってたら、「活舌(カツゼツ)が悪くてセリフが聞き取れない場面があった」ってのを複数見かけた。…けれど。冒頭の尾崎優人のセリフ「人生なんて相手の話を30%くらいは聞き取れない(うろ覚え)」の通り、おそらく意図的にそうしている…というか、正確に届けることを第一命題にしていないように思う。実は役者も「些細な事」しか喋ってない。聞き取る事が、それ程重要とも思えない。おそらく内容を伝える事よりも、存在する事の方を優先しているのだろうな、と、ハタと気が付く。

x0年後。「麗しの劇団」って伝説が名古屋にあったよね…なんていう昔話を、老後の楽しみとして思い出した時。これまで書いた些細なことは、きっと忘れている。でも、熱量、存在、赤いドレスの並びのイメージ。そういうのは、きっと思い出す。

些細なことは忘れて、その熱量と存在を、ただ素直に受け取るべき作品。そんな演劇、かもしれない。

出来るなら、東京の観客にも観て欲しいな、という余計なことを書いておく。