<観劇レポート>中央大学第二演劇研究会「内なる凱歌」

#舞台,#中央大学第二演劇研究会

【ネタバレ分離】昨日観た芝居、 中央大学第二演劇研究会「内なる凱歌」の観劇レポートです。

公演前情報

公演・観劇データ

項目データ
団体名中央大学第二演劇研究会
中央大学第二演劇研究会2020年度卒業公演
内なる凱歌
脚本窪田ショウゴ
演出窪田ショウゴ
日時場所2021/03/04(木)~2021/03/07(日)
ウエストエンドスタジオ(東京都)

CoRich 公演URL

団体の紹介

劇団ホームページにはこんな紹介があります。

とある劇団員に聞いてみる。

何故『第二』?二軍ってこと?

二軍ではありません。
十数年前、当時の中央大学夜間部の学生が創立したサークルで、既に演劇研究会が存在していた為に、>『第二』の名を冠することになった…と言い伝えられてきたとか。

このまえ、場違いな服装の集団が練り歩いてたんですけどあれって…?

当方とは何の関係もありません。
一部の部員による突発的パフォーマンスなんて、知る由もありません。
私達『第二』演劇研究会は、【春公演】【秋公演】【卒業公演】の三つを本公演とし、基本的に都心の劇場を借りて公演をしております。
現在在籍者数は60数名。
本公演の他にも、自主公演や、他の劇団への客演、他劇団でスタッフをする人など…活発に活動をする者もいます。

どんな芝居をするんですか?

全く定まっていません。
最近ではコント集団の芝居をやったり、グリム童話をモチーフにした抽象芝居をやったり、プロレスをやったり、オムニバスをやったりと、とにかくいろいろやります。
コメディ、シリアス、シチュエーション、抽象、どんとこい。

自分を変えたいと常々思っています。そんな私に演劇ってどう?

大学デビュー上等。モテたいんならもっと適したサークルがあるはずです。
サークル選びは慎重に。
演劇をやって自分が変わるか、という問いには答えづらいのですが、『演ずる』という行為そのものが日常生活におけるテンションを
逸脱したところに位置しているのです。
そういうことができるということが変わるということに繋がっていく場合も、あるにはあります。
まあ、私のは受け売りです。話半分に聞いておいた方が身の為です。

興味がわいてきたような、気がしないでもなくはないかも。

自分の感覚には自信を。是非是非公演を見に来て下さい!
なんだかんだ言っても私達は自己顕示欲を沸々と抱えている生き物です。
芝居を見てくれる人が居れば居るほど、その人たちのハートをガッチリ掴めば掴むほど、嬉しくてたまらなくなるヤツラ。
その目的だけに関しては絶対に妥協しないパワー溢れる、それがニゲキ(ニ劇)なのです。

中央大学第二演劇研究会

過去の観劇

事前に分かるストーリーは?

こんな記載を見つけました

これは或る男が書く一編の自伝小説。孤独な幼少期のある日の記憶が記されている。しかしその日記には彼なりの寓意が含まれており、やがてそれは実体を伴って彼と交信するようになる。過去と夢と寓意と幻視が混濁し、意志を持って歩き出す。全て一夜の物語。

ネタバレしない程度の情報

観劇日時・上演時間・価格

項目データ
観劇日時2021年3月5日
17時00分〜
上演時間130分(途中休憩なし)
価格1500円 全席自由

チケット購入方法

公演ホームページから、CoRichのシステムを利用して予約しました。
当日、受付でお金を支払いました。

客層・客席の様子

男女比は5:5。殆どが大学生でした。

観劇初心者の方へ

観劇初心者でも、安心して観る事が出来る芝居です。

芝居を表すキーワード
・夢

観た直後のtweet

満足度

★★★★★
★★★★★

(3/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
ここから先はネタバレあり。
注意してください。

感想(ネタバレあり)

難解だったので、自分なりの理解を散記的に書いておくと。

ストーリーと呼べるものは実はなくて、作者の夢の中、あるいは想像の中の風景を、断片的に描いているのだと理解した。一部「銀河鉄道の夜」をモチーフにしていた。他の物語もベースにしているのかもしれないが、私は気が付けなかった(労働者の物語は、プロレタリアの文学の何か?)。いくつかのセリフの中から、そもそも物語を明確に物語にすることも否定しているようにも感じる。夢十夜、というか。夢の断片を見る物語。

テーマは、喪失と再生、なのだろうと思う。明確に提示されていたのは「銀河鉄道の夜」のカンパネルラの喪失。それ以外にも、様々な喪失を描く。喪失の中での苦悩。サーカスを待ってしまう人々。夢は逃避なのか現実なのか。そんな事が頭をよぎった。

ひょっしたら、コロナによる喪失もテーマなのかもしれない。作品中明確に言及はなかったように思う。…ただ私としては、最近の作品はなんてもかんでも「コロナ」をテーマにしたがる風潮があるので、あまりコロナとは結びつけて考えないようにしている自分もいたりする。

テンポが遅いのが気になった。ラスト30分の展開までは、ちょっと退屈感が否めなかった。学生劇団、卒業公演だからか、出演人数がものすごく多いのが、まどろっこしい原因かもしれない(あまりに多くて、楽屋の様子を想像してしまったり)。ラスト30分でやっと、空間の中に染まったなと感じる。カンパネルラとの別れのラストからは、テーマ性みたいなのが染み入ってきた。

夢を描くオドロオドロシイ空間なら、もう少しエロティシズムを加えればいいのになぁ、というのを思う。少なくとも見ている側は飽きない。セックスのシーン(あの熊はセックスしてるんだろうか)、抱き合うシーン、あるいは衣装なども、どこかエロティシズムを拒否した表現のように感じる。大学生の劇団だしそういう時代なのかな…とか。あるいは、なんて淡泊な人の夢なんだ…とか、ちょっと皮肉な事も思ったり。ラストに「ムラムラしてこない」と言われると、内容は、唐突なセリフなのにとても納得できるのだけれど、そこまでの抑圧的な舞台の後では、チグハグさみたいなものを感じずにはいられなかった。

舞台の表現方法として、話に聞く70年代の小劇場、あるいは映像に残る80年代の小劇場に、どこか似ているものがあると感じる。途中で明確に思い出したのは、鴻上尚史/第三舞台「ハッシャ・バイ」という作品。あの作品は、サーカスではなくてカーニバルだった気がするし、テーマが同じという訳では無いのだけれど。