<観劇レポート>八千代松陰高等学校「ナイゲン(盆栽版)」

#芝居,#ナイゲン,#冨坂友,#高校演劇

【ネタバレ分離】

千葉県の、高校演劇の県大会を、一校だけ観てきました。
たまたまタイトルが目に入ってしまい、観に行かずにはいられませんでした。

公演前情報

公演・観劇データ

名称第72回千葉県高等学校演劇研究中央発表会
日程2019年11月29日(金)~12月1日(日)
会場千葉県教育会館ホール

観劇した演目

学校名タイトル作者日時
八千代松陰高等学校ナイゲン(盆栽版)冨坂 友/原案
神田 沙羅/作
30日09:10~

満足度

★★★★★
★★★★★

(5/5点満点)

CoRich「観てきた」に投稿している個人的な満足度。公演登録がない場合も、同じ尺度で満足度を表現しています。
ここから先はネタバレあり。
注意してください。

感想(ネタバレあり)

八千代松陰高等学校「ナイゲン(盆栽版)」

冨坂 友/原案
神田 沙羅/作

ストーリーは。
盆栽部。3年生の先輩が引退する。引退する前に、その後一年間の部活の活動方針を決めて、内容を限定する会議・・・内容限定会議=通称「ナイゲン」。昨年通りの活動を踏襲する事を決議しようと思ったら、学校側から通達が。「昨今の情勢にかんがみ、部活動はその活動内容を見直す事」との事。そこで始まる活動の見直し。活動の見直しに「賛成」か「反対」かを部員の中で議論して、最終的にどうするかを決める、という事になる。議論7日から、盆栽部は、その歴史130年(?)、週6活動。盆栽部なのに、筋トレやスクワットなどなど、かなりハードな内容だという事が分かる。そこで浮き彫りになる「伝統的な厳しさを続けるか」と「練習を合理的に、緩くしていくか」という議論。そして、練習がまりにも厳し過ぎる中、体調を崩してしまった部員が、以前不登校になってしまったことが明らかになり。対立する3年生と、2年生。「伝統を守るべきか」はたまた「時代に合わせて変えていくべきか」。最後は全会一致が大原則の「ナイゲン」。活動を緩くすることは伝統にのっとり許容できない、と3年生の一人が反対する。議論の末、2年生2人が「先輩にはついていけない」と退部を決意したところで、ちょうど体調を崩した部員が部室に。退学届けを出しに来たついでに寄ったのだという。それぞれの想いが爆発しつつも、最終的には3年生は変化しようとしている盆栽部を受け入れて、全会一致する・・・と、強引にまとめるとこんな話。

冨坂友作「ナイゲン」をベースにした、創作劇。設定を踏襲しつつも、(おそらく)架空の部活「盆栽部」を巡る、全く新しい物語に見えた。

最初は軽快に始まる議論。ある2年生が、実は縛るの大好き、盆栽に針金をかけるの大好きなちょっと「変態な」要素が垣間見れるコメディも交えつつも。最終的に帰結していくのは、3年生と2年生の考え方の対立。盆栽部は、傍目からはいわゆる「ブラック部活」。伝統を重んじ、厳しい練習をして、WBC=World Bonsai Contestで優勝したいけれど、実はこの30年位結果は出ていなくて。その中で「伝統」を重んじるのか、「変化」を求めるのか、という深い話でもあった。

ふと思い出さずにはいられないのは、日本大学のアメフト部の問題などの「部活でのパワハラ」や、「伝統という名での厳しい練習」や、高校野球での投球数の問題など。あるいは、最近の「無意味な校則」の議論。そのやり方は本当に効率的なのか、合理的なのか、意味があるのか、という視点に立った時に、崩れていく「伝統」という名の惰性の文化や、所与性。そのとても脆い問題に対して、直球勝負を挑んでいるように思えた。日大の問題のように酷い例まで行かなくとも、「伝統」という名において、あまり意味のない、しかも負荷の高い事が、今でも部活動で行われているのだろうと思うし。それは部活動に限らず、日本の社会のいたるところで蔓延している事なのだろうと思う。その事をふと思うと、問題への切り込み方、提示の仕方が、とても鮮やかだなぁ、という事を感じずにはいられなかった。

一方、「伝統」を重んじる側の3年生にも、3年生なりの理論や想いがある、という事がひしひしと伝わってきた。独断で「伝統が大事」という3年生にはついていけない、と怒る2年生。突如出てくる不登校になった生徒とのコミュニケーションが、あまりにも切なすぎて涙せずにはいられなかった。そこには、大きな流れの中で、個人の力では通常どうしようもない事柄に対する無念さも含まれていて。きっと、集団で何かを成し得ようとしたとき、誰もがこんなことを経験するのだろうと思う。その切ない、どうしようもない想いを、「ブラック」な盆栽部(盆栽、っていう例が絶妙だけれど)のちょっと架空な例で、とても切実に描かれていたのだと思う。途中から、舞台中央に置かれる、伝統の「盆栽」が、いかにもな設定でコメディっぽくも、どうやっても動かない伝統の象徴のようにも見えて、非常に悩ましかった。

また、最近読んだ、鴻上尚史の本、「空気を読んでも従わない」「空気と世間」なども思い出す。

原案の「ナイゲン」という枠組みを上手く使っていたと思う。ナイゲンの枠に囚われすぎても、面白い話にはならないし、ナイゲンの枠を使うなら、ナイゲンらしさも失う訳にはいかない。ナイゲン、一言でまとめるならば、、、、誰にも譲れないものがあって、その譲れないものをどう乗り越えていくか、という事がナイゲンのテーマだ。本家ナイゲン程、「ほんわか」した雰囲気は無いものの、逆にしっかりと議論して、人と人の想いがしっかりと衝突して、そして先に進んでいく。人々の想いの話・・・という意味合いでは、ナイゲン以上にナイゲンらしい、と言えるかもしれない。ナイゲンはあくまで「コメディ」だとすると、学園シリアス版「ナイゲン」と言えるかもしれない。(とはいえ、前半部分の「縛るの大好き」話は完全にコメディだけれど。)

気になった点としては、やはり「全会一致」の件が出てくるのが、ちょっと唐突だった気もした。(ナイゲンを知っている私はよく理解できるが)また、「反対派」が勝ったら、今度はどう「変えるか」を「ナイゲン」の結論として議論しないといけないと思うので、三年生まだ引退しちゃダメダヨ、という思いもあって、ちょっと不自然さも残っていた。どうしても「ナイゲン」という作品を観ている方が、すんなり理解しやすい舞台にはなっていると思うので、理解の差が生まれる作品になっていたとは思う。とはいえ、そのあたりの気になる点を思いつつも、全体としては気にならないくらいに感情のうねりが描かれていた。

・・・ここまで書いたところで調べてみると、この作品は同校の顧問創作のよう。今年、私にとって、「ナイゲン」は5作目。改変版は、先日観た「ナイゲン(暴力団版)」があった。暴力団版も良かった。しかし、人の生き様の切り取り方という観点では、他のどの作品よりも印象深い作品になった。

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